五 位 塚 墳 墓
岩手県奥州市(旧江刺市)江刺区岩谷堂字五位塚
 五位塚墳墓は北上川中流域の東岸、小高い丘に構築された墳墓群で、『安永風土記』によると全部で大小 六十三基の墳墓があったとされます。このうちもっとも大きなものが奥州藤原氏の祖 藤原清衡の父 経清の墳墓とされます。経清はもともと陸奥国亘理郡を地盤とする在庁官人で「亘理権太夫」を称していましたが、永承6(1051)年 「前九年の役」が勃発すると当初、源頼義方に与しましたが、その後 安倍頼時方に加担しました。しかし康平5(1062)年、乱は出羽国の俘囚長 清原氏の支援を受けた源頼義方の勝利で終結し、経清は捕縛されて斬首されたと伝えられます。現在、経清の墳墓の上には新しい五輪塔が建てられています。(場所はココです)