無 為 館
青森県西津軽郡深浦町
深浦字岡町
立地・構造
無為館
は日本海に面した海岸段丘上(比高30m)の北西方向に張り出した一ピーク(比高60m)に築かれた単郭構造の近世丘城(山城?)で、館の北ー西ー南側は急峻な断崖になっています。館の規模は東西100m×南北30−40mほど、唯一 稜線の繋がる東側に分厚い土塁で区画された虎口が構えられ、ここから中腹の岡町に繋がっていたと思われます。内部には
御仮屋
が設けられていたほか、海上警備のための櫓台が置かれていたと思われます。なお中腹の岡町に藩政期、湊番所、遠見番所、深浦御蔵が構えられ、
無為館
の
外郭
を形成していたと思われます。同地は北前船の避難湊、自然の良港
深浦湊
を眺望できる高所に位置しており、
無為館
は湊の警備管理・治安維持のため構築されたものと思われます。
寛永年間(1624−45年)初期、
深浦湊
は津軽藩二代藩主 越中守信牧の命により制定された
「四浦五浦」
のひとつに定められ、
深浦
現地説明板の図
湊
を一望 にできる岡町に奉行所が設置されました。奉行所は藩主の領内巡行の際の旅宿としても利用され、文化3(1806)年 避暑を兼ねてこの地を訪れた九代藩主 越中守
寧親
(
やすちか
)
は深浦奉行 和島丈右衛門に
「無為」
の書を書き与え、丈右衛門がこの書を奉行所の額として掲げたため、奉行所は
「無為館」
と呼ばれるようになりました。
歴史・沿革
無為館 東側の虎口
メモ
弘前津軽藩の奉行所
形態
丘城(山城?)
別名
深浦奉行所・御仮屋
遺構
郭(平場)・虎口・土塁
場所
場所は
ココ
です
駐車場
館内部に駐車可能
訪城日
平成25(2013)年6月7日
無為館
は日本海に面した
深浦湊
を一望にできる海岸段丘上の岡町に築かれた丘城です。(写真左上) でっ、
無為館
へは岡町の道路沿いに誘導杭が設けら、狭いながら車道が敷設されています。でっ、誘導杭に従って坂道を登り切ると東側の虎口に辿り着きます。(写真左上・右上) 虎口は分厚い土塁で構築されたもので、導線はややクランクして館内に入ります。内部は公園整備されていて、特に遺構等はありませんが、先端から
深浦湊
や日本海が一望にできます。(写真左下・右下)
無為館
から
深浦湊
方向
実際のところ、雑木が多く見通しは効きませんが、なければ眺望できます。
千畳敷
寛政4(1792)年、地震によって隆起した海岸段丘。藩政期、津軽藩主がここで宴会を開いたことから千畳敷と呼ばれるようになったとか。