苅 松 田 城
福島県福島市(旧飯野町)飯野町字苅松田
立地・構造
 苅松田城は阿武隈川右岸の中山間地、南から北方向に張り出した丘陵上(標高254m 比高60m)に築かれた平山城です。城の規模は東西180m×南北550mほど、城縄張りは南端のピークに主郭部を設け、南北に細長い丘陵上に郭を点在させる異形の形態になっていたようです。主郭部はピークに主郭を構築し、主郭の北側に三の郭を、南側に二の郭を敷設した階郭状の形態で、さらに主郭部の東側下に馬場・東郭が、南側下に井戸郭を設けていたようです。また主郭部の北側稜線に北郭を含め幾つかの平場が設けられ、屋敷地として利用されていたと思われ、基本的に日常居館を含む館城として築かれたものと推測されます。全体的に要害性が薄い城砦ですが、東・西側下に要害性を高める幅の広い沢が入り込み、自然の濠になっています。同地
「信夫郡」から「安達郡」に繋がる針道街道を抑える要衝に位置します。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主と伝えられる青木氏はもともと懸田氏(懸田城主)の支配下にあった「村地頭」でしたが、天文22(1553)年 主家の懸田氏が滅亡すると大内備前守義綱(小浜城主)に出仕したと伝えられます。そして天正年間(1573−92年)初期頃、青木修理が苅松田城を築いて居住したとされます。しかし天正13(1585)年、伊達政宗による大内討伐が開始されると青木修理は伊達安房守成実の調略を受けて伊達方に内応し、以後 苅松田城は伊達氏の属城となりました。
歴史・沿革
苅松田城 北東側からの遠景
メモ
「伊達郡」の在地領主 青木氏の館城
形態
平山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成21(2009)年11月21日
苅松田城は飯野市街地の南方、南から北方向に張り出した南北に細長い丘陵上に築かれた平山城です。(写真左上ー北東側からの遠景) でっ、城へは北麓の針道街道から林道が建設され、主郭部近くまで車で行くことができます。(写真右上ー主郭部) ということでここから主郭へアプローチしようとしたのですが ・・・・・、周囲は耐えられないような異(悪)臭がしたため、直登あきらめて撤退。なお主郭部の周囲に平場のあとが確認できます。(写真左ー主郭部北側下の郭 写真左下・右下ー主郭部東側下の郭・馬場か?)
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