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水木館は津軽平野中央の平野部に築かれた平城です。城の規模は東西110m×南北180mほど、内部は南北堀で仕切られた東・西の2郭からなっていたと思われます。周囲は堀で囲まれ、『浪岡領別記抄』(『北畠家譜略』)に「弐重堀城跡あり」と記され、また『津軽名勝旧跡誌』にも堀が二重だったことが記されていることから、部分的に二重堀が用いられていたと推測されます。現在、館内部はリンゴ畑、耕作地になっていて遺構等は見られませんが、部 |
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分的に堀の痕跡が認められます。
築城時期・築城主体ともに不明。一説に浪岡北畠氏の重臣 水渓氏の居館とも、また浪岡北畠氏の庶流 川原北畠氏の居館とも。永禄5(1562)年正月、「川原御所」 北畠具信は「浪岡御所」 北畠式部少輔具運の弟 左衛門尉顕範が領内滝井に分封されたことで具運と対立し 浪岡御所で具運の殺害にいたります。(「川原御所の乱」) このため具信は騒ぎを聞き駆け付けた顕範に討ち取られましたが、具信の嫡子 虎五郎は顕範に養育され、後に水木館主となり水木顕信を称しました。天正6(1578)年、大浦為信の攻撃を受けて浪岡北畠氏が滅亡すると顕信は大浦氏に出仕し、翌7(1579)年の「六羽川の戦」で討死したと伝えられます。 |
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川原北畠氏の居館 |
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平城 |
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溝城館 |
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郭(平場)・堀祉 |
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場所はココです |
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熊野宮前に駐車スペースあり |
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平成23(2011)年4月14日 |
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水木館は水木集落北西方の平野部に築かれた平城で、南側に祀られる熊野宮を目印にすると場所はすぐに特定できます。(写真左上) 熊野宮から西方向に延びる延長線に東郭の南堀祉と思われる地筆が見られますが(写真右上)、館内部はリンゴ畑、耕作地になっているため明確な遺構は見られず、また規模も不明瞭になっています。(写真右ー東郭 写真左下ー西郭) でっ、東側中央に館を東・西2郭を分断したと思われる堀の残欠を発見!!!。(写真右下) 規模は幅15mほど。 |
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