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浅水城は浅水地区北側の西から東方向に延びた丘陵先端に築かれた山城です。(写真左上・右上) 浅水地区は旧奥州街道が通る要衝地だったことから、浅水城には街道筋を扼する機能があったものと思われます。(写真左) 浅水城の南西麓には大永3(1523)年、南部長義が開基したと伝えられる南氏の菩提寺 寶福寺があります。(写真左下) でっ、城へは南東麓の八幡神社の鳥居から遊歩道が整備されています。(写真右下) |
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城址は大きくは3郭からなるようですが、はっきりしません。東端の平場が最も広く八幡神社が祀られ(写真左上)、ここが主郭と思われますが、相当 改変されているようです。神社の背後に7−8m四方の小郭があり、物見だったと思われます。(写真右上) でっ、この小郭から西側は細長い尾根がなだらかに続いていて(写真右)、管理人は尾根筋をしばらく進みましたが、笹藪が酷く退却を余儀なくされました。また北ー東ー南側斜面は急斜面になっていますが、幾つか郭らしき平場も見られます。 |
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浅水城の南方には浅水城と同時期に使用されたと推測される浅水館、工藤屋敷が築かれています。(写真左上) 両城は浅水城とともに旧奥州街道を挟む形で構築されていることから、浅水城の支砦として街道を監視する機能があったものと思われます。 |
工藤屋敷(写真右上) 北東方向に延びた丘陵先端(比高10−15m)に築かれた単郭の城砦。規模は東西20m×南北60−70mほど、丘陵基部を幅10−15m×深さ5−6mの堀で分断されています。なお工藤屋敷は南部長義が入部以前の領主 工藤氏の館城と伝えられます。(写真左) |
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浅水館(写真左上) 北方向に延びた丘陵先端(比高10−15m)に位置し、丘陵基部を堀切(写真右上)で分断して城域としています。内部は東西180m×南北150mほどあるようです。(私有地のようだったので登っていません) |