山内城
秋田県南秋田郡五城目町富津内上山内
立地・構造
 山内城は内川川右岸の南側に張出した丘陵(標高102m 比高90m)に築かれた山城で、東西に並列状に並んだ東郭(主郭・二の郭)・西郭(三の郭・四の郭)と北西尾根の五の郭・六の郭(物見)から構成され、並郭式と階郭式縄張の変則パターンの城館です。主郭は東側丘陵の頂部と考えられ、ここには櫓台が配置されています。主郭南側には二の郭が配置され、さらに南下にも郭があり、比高15−20mで階段状に郭が配置されています。西郭は北端に三の郭が置かれ、東・西側には帯状の郭が巻かれ、スロープ状に南側の腰郭に繋がっています。三の郭が城内では最大規模の郭と考えられ、ここに城主居館があったと想定されます。また三の郭から北西尾根に進む尾根道が搦手と考えられます。大手は現在、小倉温泉のある南側からの道が想定され、東郭・西郭の間の谷地を登る道と考えられます。小倉温泉のあるところも城内で、なんらかの施設があったと思われます。山内城は技巧的な普請は特に見られないものの、自然地形を利用した切岸の高さと、堀切が最大の防御だったと思われます。また城主居館を含む城域は広大で、この周辺では浦城と双璧をなすデカサです。 (山内城図
歴史・沿革
 築城時期は不明。城主三浦氏は甲斐国三浦氏(?)の流れをくみ、鎌倉初期にこの地に入部したと伝えられます。三浦氏の詳細・事績は不明ですが、戦国期にその名前が歴史に現れます。三浦氏は浦城を本城に山内城には一族を入れ、八郎潟東岸を支配していたと考えられます。戦国期に三浦氏は北の檜山城主安東氏、南の湊城主安東氏に挟まれた国人領主でしたが、どうも湊安東氏に近かったと思われます。天正15(1587)年の「湊騒動」(安東氏の内訌)で三浦兵庫頭盛永は湊安東高季に組したため、檜山城主安東実季に攻められ、山内城は浦城とともに落城しました。落城時の城主は山内(三浦)秀兼と伝えられます。
山内城  遠景
メモ
八郎潟東岸の在地勢力
三浦氏の館城
形態
山城
別名
五十目城・館山・大手館 
遺構
郭・土塁・虎口・堀・水の手
場所
場所はココです
駐車場
小倉温泉駐車場借用
訪城日
平成16(2004)年11月25日
平成19(2007)年2月10日
大手筋?
小倉温泉から東郭・西郭の間の緩斜面を登ります。ここが本来の大手筋と想定されます。
二の郭南麓の郭
東郭の南端に位置し、四の郭(西郭)と大手筋を防御する施設と考えられます。
土塁
二の郭南縁部には高さ1−1.5mの土塁が築かれています。
四の郭
大手筋を西側から監視する郭です。西から東側にかけて三段に削平されています。
空堀
三の郭・四の郭間は空堀で分断されています。三の郭側の切岸は4−5mほどあります。
馬洗池
東郭・西郭間の鞍部にあります。通称馬洗池・米洗池と呼ばれていますが、本来は水の手と考えられます。
二の郭
東郭の中央に位置する郭で、南から北側に三段に削平されています。東側には帯郭が配置されています。
土塁
二の郭南縁には高さ1−1.5mの土塁が築かれています。
主郭切岸
写真ではわかりずらいですが、主郭南側の切岸で高さ10m以上あります。中央に虎口と思われる切込みがあります。
土塁
主郭の南縁には土塁が築かれていたようです。現在は西側に土塁を確認できます。
主郭
長辺30mほどの郭で、北端に櫓台があります。二の郭・三の郭を見下ろす位置にあります。
櫓台
主郭の北端には高さ3−4mの櫓台があり、内川川流域(山内城北方)を監視する位置にあります。薮が酷く突入は断念しました。
堀切
主郭北側尾根は堀切で分断されています。堀底から櫓台までは7−8mほどあります。
主郭西側
急斜面に帯郭が加工されています。帯郭はスロープ状に二の郭に繋がっています。
三の郭
主郭から三の郭を見たところです。三の郭の北側が急斜面になっているのが確認できます。
三の郭東側
三の郭東側には幅10m前後の帯郭が3−4段配置されています。帯郭はスロープ状に南側に延び、二の郭南側の腰郭に繋がっています。
三の郭
長辺40mの楕円形の郭です。南側に段差3−4mで3−4段の腰郭があります。
土塁
三の郭北西縁部には高さ1−1,5mの土塁が築かれています。
三の郭西側
東側と同様に帯郭がスロープ状に南側に延びています。
竪堀?
三の郭西側の斜面には竪堀?が確認できます。ただの自然地形かもしれませんが・・・・・
大堀切
三の郭・五の郭間の堀切です。自然地形を利用した堀切で、三の郭側は堀底から15m以上ある大規模な普請です。
五の郭
大堀切からしばらく尾根道を進むと、五の郭に着きます。25−30m四方の郭で、搦手の防御施設と考えられます。
腰郭
五の郭の北から東側は帯状の郭(2段)でカバーされています。写真は下から五の郭を見上げたところです。
堀切
五の郭北西側は二重堀切が穿たれ、搦手方向の遮断線になっています。
土橋
五の郭から六の郭間は痩尾根で繋がっています。六の郭は尾根から10mほど上に位置し、手前には土橋が配置されています。
六の郭(物見)
城域北西端に位置し、馬場目川下流(山内城西方向)を監視する物見と考えられます。熊笹で地表面を確認できませんが、北から南側に三段に削平されているようです。
黒土館
内川川を挟んで山内城の東側に位置します。築城年代・城主・詳細等は不明ですが、山内城の支城として機能していたと想定されます。