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砂沢城は潟東平野の北東部、馬場目川北岸の半独立丘陵上(比高70m)に築かれた山城です。城の規模は東西200m×南北80mほど、城縄張りは頂部に構築された主郭を中心に東・西側稜線に3−4段の段郭が敷設されたシンプルな構造の城館と思われます。規模は主郭が東西50m×南北40mほど、現在 主郭に模擬天守が建てられています。また南麓に城主居館が構えられ、居館から南側に延びた道路を中心に五城目の町割りがなされたと伝えられます。
五城目城は天正16(1588)年の安東氏の内訌(「第二次 湊騒動」)で軍功をあげた藤原内記秀盛が戦後、檜山城主 安東実季から八郎潟東岸の支配を任され築城したと伝えられます。慶長7(1602)年、安東実季の常陸移封により廃城。 |
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檜山安東氏の被官 藤原氏の要害 |
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山城 |
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五城目城 |
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郭(平場)・模擬天守 |
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場所はココです
五城目城(五城目森林資料館) |
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森林資料館の駐車場 |
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平成18(2006)年10月26日 |
平成25(2013)年5月10日 |
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砂沢城は五城目市街地の北方、半独立丘陵上に築かれた山城です。(写真左上ー南側からの遠景) でっ、現在 主郭に模擬天守が建てられていて麓からでも場所はすぐに特定できます。ちなみに城山の北・南側は急斜面になっていて、山麓まで落ち込みます。(写真右上ー南側の断崖)
頂部に位置する主郭は東西50m×南北40mほど。(写真左) でっ、城縄張りは主郭を中心に東・西側稜線に展開されていたようですが、かなり改変されています。(写真左下ー西側の郭群? 写真右下ー東側の郭群、かすかに痕跡が残っています) |
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五城目市街地(写真上) 天正年間末期、藤原内記秀盛が五城目城を築いた際、計画的に作られた八郎潟東岸の中心地です。五城目城から南側にまっすぐに延びた朝市通りを中心に町割りがなされたようで、市は馬場目から移したと伝えられます。 |
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