高 瀬 館
秋田県鹿角市(旧花輪町)花輪字堪忍沢、浦館、小森沢
立地・構造
  高瀬館は鹿角盆地の中央西縁、米代川左岸の段丘突端に築かれた平山城で、段丘突端を加工した北から浦館ー熊館ー前館(本館)の三郭からなります。城の規模は東西350m×南北800mほど、各館の規模は浦館が東西50m×南北170m、熊館が東西80m×南北50m、前館が東西60m×南北180mほど、各郭は深く切り込んだ沢で仕切られ それぞれが独立した城郭形態になっています。前館は米代川に面した断崖上に位置し、北・南側から切り込んだ沢を自然の濠として東側に1段 腰郭が敷設されています。基本的には前館を防御守備するため熊館、浦館が設けられていたと思われますが、あるいは別個の城郭遺構とも推測されます。同地は鹿角盆地の中央部を眺望できる高所に位置します。
 築城時期は不明。『鹿角由来記』「一、高瀬村 高瀬土佐領知 本名秋元館有 知行村数 久保田用ノ目 花軒田村 松山村 高梨子村 川原館村 居館ハ高瀬也」と記されています。館主 高瀬氏は鎌倉中頃、地頭職として鹿角に入部した「鹿角四頭」 鹿角秋元氏の庶子家が高瀬を分知されて高瀬館を築いたものと思われます。高瀬氏の事績は不明。
歴史・沿革
高瀬館 浦館北側の堀
メモ
「鹿角四頭」 秋元氏の庶子家 高瀬氏の館城
形態
平山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・虎口・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成2(2020)年11月27日
高瀬館は花輪市街地の西方、米代川西岸の段丘上に築かれた浦館、熊館、前館 三館の総称です。(写真左上ー前館 写真右上ー浦館) でっ、管理人は主郭に想定される前館からアプローチしました。でっ、前館の西側に車道から楽にアプローチできると思ったのですが ・・・・・、車道と前館のあいだが民有地(果樹園)になっていたため ここからの訪城はあきらめ(写真左)、史跡標柱の建つ北東麓の高瀬稲荷からアプローチし直しました。(写真左下ー史跡標柱 写真右下ー高瀬稲荷)
でっ、高瀬館へは高瀬稲荷から山道(農道?)が敷設され、東側の腰郭まで繋がっています。前館とこの腰郭の高低差は10mほど(写真左上)、東側斜面に2−3段 犬走が敷設されています。(写真右上) でっ、辿り着いた前館の規模は東西60m×南北180mほど、現在 笹薮に覆われ地表面はハッキリしませんが(写真右)、東縁は幅7−8mの土塁状の土壇に加工されています。(写真左下)
熊館(写真右下) 規模は東西80m×南北50mほど、現在 西側を走る車道は堀切を利用したものと思われます。また北側の浦館間は沢で区画されています。
(写真左上) 熊館西側の堀祉
(写真右上) 浦館ー熊館間の沢
浦館へは西側の車道から山道が敷設され、しばらく山道を進むと進行方向左側に浦館を区画した巨大な堀切が見えてきます。(写真左) 堀の規模は幅10−15m×深さ6−7mほど。さらに進むと導線はクランクして北西方向に延び(写真左下)、堀底道から切り込み式の虎口に繋がっています。でっ、辿り着いた浦館は東西50m×南北170mほど、東側斜面は3−4段の帯郭が敷設されているようですが未確認。
浦館の虎口  浦館