仙台藩花山村寒湯番所は仙台藩領の花山から佐竹藩領の小安に繋がる「花山越」の仙台藩領側に設けられた境目番所です。正式名称は「仙台藩仙北御境目寒湯番所」。御番所は一迫川上流部の渓谷地形に設けられたもので、前面は一迫川に面した絶壁になっています。番所の起源は永禄9(1566)年と伝えられますが、詳細は不明。天正19(1591)年、「葛西大崎一揆」後 葛西大崎領が伊達政宗に宛がわれると政宗は岩出山に入封し、寒湯番所は境目御番所として整備され、代々 関守 三浦氏が管理にあたりました |
リーフレットの所収図 |
。現在、残存する表門と役宅は安政年間(1854−60年)の建築物。昭和38(1965)年9月、国の史跡に指定。(場所はココです) |
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表門
安政年間(1854−60年)の改築、「花山越」の往還道を塞ぐように構えられ、正面には検断所が設けられています。間口 九尺八寸(2.96m)×奥行 八尺八寸(2.66m)の四脚門、形状は両切妻造り・茅葺き屋根。 |
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検断所祉
「花山越」を通る旅行者の関所手形を検断した施設祉。 |
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役宅
間口 23.2m×奥行 11.8mの大型の二階建て建築物。表門と同じく安政年間(1854−60年)の建造。 |
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