孤 雲 屋 敷  旧佐藤家住宅ー
宮城県栗原市(旧花山村)花山字本沢
 「孤雲屋敷」は栗原市旧花山村字草木沢小田地区にあった「旧佐藤家住宅」を小田ダム建設にともない 現在地に補修・復元して移築したものです。建物の規模は桁行 十間半(20.37m)×梁間 六間(11.64m)の木造平屋建て(73.27坪)で、片入母屋造、茅葺型銅版葺(元は茅葺)様式の大型の農家住宅です。建築時期は不明ですが、江戸中期のものと推測されています。佐藤家はもともと葛西家の家臣 姉歯氏に出仕した在地土豪でしたが、近世 葛西領が伊達政宗に宛がわれると、伊達氏の家臣 遠藤氏に出仕して川口村に移り住み 孤雲屋敷 現地リーフレットの所収図
リーフレットの所収図
ました。後に佐藤氏は小田地区に移り住んで帰農し、肝煎りをつとめています。佐藤家の七代目当主 重太郎は地域の人から仁徳も厚く学問にも勝れている人物と評され、「孤雲」を号してこの屋敷で隠居生活を送っていました。そしてこの時期、千葉周作の父 幸右衛門と親交をもち、孤雲は千葉周作に学問を教授したとされます。(場所はココです)
 長屋門
 母屋外観
 土間・板の間
 中の間・茶の間
 正座敷
江戸に旅立つ千葉周作に愛刀を贈る孤雲