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湯瀬館は湯瀬温泉背後(北側)の丘陵上に築かれた丘城で、現在 東北道建設のため、遺構の大部分が消滅しています。(写真左上ー南側からの遠景、見えませんが
・・・・・) でっ、とりあえず主郭と思われる東郭を目指します。(写真右上ー西側からの近景) 東郭も郭の北側が東北道により破壊されていますが、『秋田県の中世城館』によると規模は東西60m×南北90mほど、もとは湯瀬小学校の校地だったようで藪の中に校舎の一部が残っています。(写真左) でっ、東郭の西ー南側下に帯郭が巻かれ、西端に神明社が祀られています。(写真左下) ちなみに大手導線は西側下の堀底道だったのでしょう。(写真右下) |
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でっ、西郭の場所ははっきりせず、とりあえず当サイトでは東北道の下りSAのある部分を西郭としていますが ・・・・・ (写真左上ー東側からの近景 写真右上ー現湯瀬SA)、『秋田の中世城館』の所収図を見る限りでは、現在 史跡標柱の建つ南方向にでっぱた部分のような気も ・・・・・。(写真右・左下) ま〜〜〜、東北道の建設により あとかたもなく改変されているようです。 |
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湯瀬館は米代川に沿った谷底平野を見下ろす高所に位置し、鹿角へ入る鹿角街道を守備、監視する高所にあります。(写真右上ー湯瀬温泉が一望にできます) |