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本館は日本海に面した本館地区背後の丘陵上に築かれた山城です。(写真左上ー南西側からの遠景) でっ、本館地区自体も海岸段丘上に築かれ、往時 ここに「根小屋」が構えられていました。(写真右上ー本館地区の居館祉 写真左ー「表門坂」 写真左下ー史跡標柱) 「根小屋」は本館地区の北端に位置し、南西方向に張り出した舌状台地に選地され、規模は東西80m×南北40mほど、虎口は南側に設けられ、前面の坂道は「表門坂」と呼ばれていたようです。でっ、本館地区と「要害」部の高低差は100mほど、地区の南東側から林道が敷設されています。(写真右下) |
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(写真左上) 林道の入り口、案内板あり |
(写真右上) 林道は幅はあるものの、ケッコウ轍がひどく、軽の四駆なら通行可能だと思いますが、普通車以上はよした方が ・・・・・。 |
林道を登り詰めると主郭の南東端下に辿り着きます。(写真右ー説明板あり) でっ、この部分は主郭南東側下の郭(写真左下)と東側の帯郭に繋がっています。(写真右下) 東側下の帯郭は幅3m前後ほど。 |
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主郭の背後(北側)は稜線が狭まった痩尾根になっていて(写真左上)、東側斜面に導線を狭めるように堀の痕跡が認められます。(写真右上) |
主郭(写真左) 規模は東西60m×南北70mほど、北端が高くなっていて櫓台が構えられていたのでしょう。(写真左下ー北側) ま〜〜〜、本来なら西麓に大間越街道が眺望できるのでしょうが ・・・・・。でっ、中央南寄りに「本館一揆」の犠牲者を弔う慰霊碑が建てられ(写真右下)、説明板によると本館が落城した旧暦の8月18日 毎年 慰霊祭が行なわれているようです。合掌。 |
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本館要害は主郭を中心に南側斜面を段郭群に加工したシンプルな構造になっています。でっ、南西側下の1段目の郭は幅10−15mほど(写真左上)、この郭の下に導線を兼ねた小郭が2段
敷設され(写真右上)、さらにこの下に東西70mにわたる広大な平場が設けられています。(写真右ー東側 写真左下ー西側) ま 〜〜〜、この郭は非戦闘員を収容する「ムラシロ」の性格があったのでしょう。またこの郭の西縁に明確な虎口が見られ、側面は土塁で構築されています。(写真右下) |
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南側先端部の郭は東西30m×南北10mほど(写真左上)、大手導線と虎口を守備、監視した郭と推測され、先端は5−6m切り落とした堀切で処理されています。(写真右上)
なお大手導線は西麓の本館地区から西側に切り込んだ沢を辿って虎口に繋がるルートが想定されます。(写真左) |
松源院(写真左下ー本堂 写真右下ー山門) 天文13(1544)年創建と伝えられ、のちに本館に入部した武田重左衛門が伽藍を整備したとされます。松源院に残る重左衛門の位牌の戒名は「萬松院殿青山源林大禅定門」。 |
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