櫛引八幡宮は八戸市街地の南西部にある古社で、境内は八幡山と呼ばれています。創建は仁安元(1166)年、甲斐源氏のひとり 加賀美遠光が甲斐国「南部荘」に八幡神を勧請して祭祀したことが初源とされ、建久2(1191)年 陸奥国糠部郡に下向した遠光の三男 南部光行が六戸に八幡宮を遷座、さらに貞応元(1222)年に櫛引村に遷座したとされます。そしてその後、櫛引八幡宮は南部の総鎮守として崇拝され「南部一の宮」と称されました。南北朝初期、三戸南部氏の衰退にともない一時 社勢は衰えましたが、同じ頃 陸奥「糠部郡代」として下向した南部師行に庇護され根城南部氏の祈願所に取り立てられました。現在、境内に鎮座する五棟の社殿は重要文化財に指定され、また境内の国宝館に「新羅三郎義光公の甲冑」と呼ばれる「赤糸威鎧」や南部薩摩守信光が後村上天皇から拝領したと伝えられる「白糸威褄取鎧」などの国宝、重文が一般公開されています。なお旧暦の8月14日から16日に行われる秋季大祭では、南部師行が領内安全・子孫繁昌・武運長久を祈願して奉納したと伝えられる流鏑馬神事が毎年行われています。(場所はココです) |
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旧拝殿
桁行 七間×梁間 三間の入母屋造り、銅板葺き。国の重要文化財。 |
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春日社
拝殿の脇宮、祭神は天津児屋根神、国の重要文化財。なお南門・旧拝殿・春日社は天保2(1645)年から慶安元(1648)年にかけて盛岡藩主南部重直の命により造営されたもの。 |
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