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馬場館は成瀬川の上流部、成瀬川に泥ノ又沢が合流する台地突端に築かれた平山城(崖縁城)?らしいです。城の規模は『秋田県の中世城館』によると推定 東西160m×南北220mほどあったようですが、現在 城址は砂利採取により消滅し、規模・構造ともに不明。同地は雄勝から陸奥国磐井郡に繋がる雄勝側の谷口に位置し、また成瀬川にせり出した丘陵突端を利用して築かれていることから、街道筋を守備・監視する関所的な性格があったものと思われます。
築城時期・築城主体ともに不明。『長渓山龍泉寺史』によると応永年間(1394−1427年)、大和国飛鳥からこの地に入部した高階大次郎通治が馬場館を拠点として築きましたが、のちに高階氏は新たに岩井川城を築いて移り住んだとされます。(室町末ー戦国初期頃か?) その後、馬場館には高階氏の一族・被官が配されたと推測され、城主として高階伯耆守通信、同美濃守通春、同大次郎通標、同尾張守通類の名が伝わっています。 |