田 子 内 城
秋田県雄勝郡東成瀬村田子内字厳渓山
立地・構造
 田子内城は成瀬川中流域の南岸、厳渓山(標高397m)から北東方向に張り出した稜線突端(比高160m)に築かれた山城です。規模は推定 東西60m×南北150mほど、このうち主郭と推定される平場は東西15−20m×南北50mほど。南側の厳渓山に繋がる稜線を堀切で遮断していたと思われますが、痕跡は確認できず。主郭からは横手盆地に繋がる成瀬川下流域が眺望でき、もともと物見砦として取り立てられたものと推測されます。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主としては『奥羽永慶軍記』(客観的な史料でないため あまり使用したくないのですが ・・・・・)に田子内治部の名が記されています。田子内氏の出自は不明、中世 岩井川を拠点とした高階氏の一族、あるいは被官筋と思われます。『奥羽永慶軍記』によると慶長5(1600)年、田子内城は最上義光が派遣した丹与三左衛門率いる最上勢の攻撃を受けましたが、岩井川兵部大輔、手倉国平(手倉館主)の支援を得てこれを撃退したとされます。
歴史・沿革
田子内城 主郭
メモ
岩井川高階氏の支城
形態
山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
城址に駐車スペースあり
訪城日
平成29(2017)年5月10日
田子内城は田子内地区背後(南西方向)の丘陵突端に築かれた山城です。(写真左上ー北側からの遠景) でっ、城へは北麓の下田地区から林道が設けられ、楽に登ることができます。(写真右上) 辿り着いた主郭と思われる平場は東西15−20m×南北50mほど(写真左)、内部は公園整備等で改変されているようです。でっ、北端に4−5m四方×高さ1mの土壇が見られますが、たぶん後世の改変でしょう。(写真左下) 主郭の北側下に1mの段で腰郭が1段見られ(写真右下)、さらに北東側稜線に堀切もあるようですが、雨が降ってきたためここで退散、堀切は未確認。
主郭から北西(横手盆地)方向を望む