手 倉 館
秋田県雄勝郡東成瀬村椿川字後山
立地・構造
 手倉館は成瀬川中流域の右岸、東から西方向に張り出した丘陵突端(比高50m)に築かれた単郭構造の平山城です。規模は70m四方ほど、東側の丘陵続きを二重堀で断ち切って館を独立させています。主郭の規模は35−40m四方、堀の規模は幅2−3m×深さ1−2mほど。堀は館の北ー東ー南東部をカバーし、虎口は北東部に設けられていました。同地は陸奥国胆沢郡に繋がる手倉越を見下ろす高所に位置しており、これを監視する物見砦として機能していたものと思われます。
現地説明板の図

 築城時期・築城主体ともに不明。岡見知愛(久保田佐竹藩士)の『柞山峯之嵐』(別名『秋田六郡旧記』「・・・・・、岩井川には岩井川兵部大輔、手倉には手倉国平、戸波平八、田子内には田子内治部、小峯三河守等楯籠る。慶長五年十月 最上方丹与三左衛門 右三城を攻めんとて三百余騎を率いて向ひけるに・・・・・、田子内要害より悉く人勢を曳揚ける」と記され、戦国末期の館主は小野寺氏の被官 手倉国平とされます。手倉氏は中世 成瀬川流域を支配した高階氏の一族と思われ、館は小野寺氏改易の際 破却されたものと思われます。なお麓の手倉地区に近世久保田藩の「手倉御境口御番所」が置かれていました。
歴史・沿革
手倉館 東側の二重堀
メモ
小野寺氏の被官 手倉高階氏の監視砦
形態
平山城
別名
遺構
郭(平場)・土塁・虎口・堀・土橋
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年5月10日
手倉館は成瀬川中流域の東岸、手倉地区背後の丘陵突端に築かれた平山城です。(写真左上ー西側からの遠景) でっ、館祉へは国道342号沿いに「柳沢牧場」への誘導杭があり(写真右上)、林道を道なりに進むと進行方向右側に手倉館の「説明板」が見えてきます。(写真左) でっ、説明板によると説明板の設置された場所は館の北側下にあたるようで、ここからアプローチしようと思ったのですが ・・・・・、竹笹と藪がひどく断念!!!。(写真左下) ということで管理人は南側の沢からアプローチしました。(写真右下)
南側の沢から登ると横堀が見えてきます。(写真左上) 堀は南側中央で南側の沢に接続し、規模は幅3m×深さ3mほど。でっ、管理人がこの堀に沿って進んだところ 東側の二重堀の内堀に繋がっていました。(写真右上) 説明板によると東側の堀は三重堀のように記されていますが、・・・・・ どうも土塁を堀でカウントしているようで、実際は二重堀らしいです。(写真右・左下) 堀の規模はそれぞれ幅2−3m×深さ1−1.5mほど。でっ、北方向に延びた二重堀は西方向にクランクして館の北東部をカバーしています。(写真右下)
でっ、主郭へは北東部に土橋がかけられ 堀間の中土塁から導線が確保されています。(写真左上) 辿り着いた主郭の規模は35−40m四方ほど、内部は藪茫々で ・・・・・、何が何やら ・・・・・。(写真右上) 東縁に高さ1m弱の土塁が確認できるのみ。(写真左) 規模は小さく要害性もさほど高くはありませんが、西麓に陸奥国胆沢に繋がる手倉越を見下ろす高所に築かれています。

ー 動画 手倉館を歩く ー