玉米式部少輔の墓碑
秋田県由利本荘市(旧東由利町)東由利町老方字老方
 玉米氏は応仁の頃(1467-68年)、信濃からこの地に下向して米本(玉米)を本拠とした国人領主で「由利十二頭」のひとりに数えられています。そして玉米氏は天正18(1590)年の「奥州仕置」で豊臣秀吉から所領安堵の朱印状を給されたと思われますが(朱印状は残っていませんが ・・・・・)、文禄年間(1593-96年)頃 豊臣政権の「由利十二頭」再編の余波を受けて衰退したものと思われます。墓碑には「玉米院殿梅岸高公大居士 元和元年三月五日 俗名 小笠原式部少輔光圀」と刻まれていますが、この人物は玉米氏最後の当主 玉米弥三郎義次と推測されています。なお玉米氏の子孫は義次の次子 助兵衛の家系が本荘六郷藩に仕官し、義次の次弟 山城守の家系が亀田岩城藩に仕官したとされます。墓碑は老方地区の泉秀寺に安置されています。(場所はココです)
 玉米式部少輔光圀の墓碑
 泉秀寺 山門
 泉秀寺 本堂