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独鈷城は犀川の右岸、独鈷地区背後(北東側)の丘陵突端に築かれた平山城です。(写真左上ー西側からの遠景) でっ、城の南方に大日堂があり、ここからアプローチするのがベターです。(写真右上ー大日堂)
大日堂境内の東側に深く 沢が切り込み、この延長上に「浮島」と呼ばれる池、主郭・東郭間の堀があります。(写真左ー沢 写真左下ー「浮島」) ちなみの大日堂は1100年代に創建された古刹で、後に浅利氏の氏神とされ、現在の拝殿は寛文13(1673)年に再建されたもの。また「浮島」は独鈷城の水の手と推測され、現在 浮島龍神社が祀られています。(写真右下) |
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でっ、城にアプローチして最初に現れるのが主郭の南側を仕切った堀。(写真左上) 規模は幅10−15m×深さ5−6mほど、堀底はそのまま主郭の東・西側に廻り込んでいます。(写真右上ー主郭東側の堀、幅20m×深さ4−5m 写真右・左下ー西側の堀、幅30m×深さ5−6m) でっ、西側の堀は主郭・西郭間にあり、武者溜空間だったのでしょう。 |
(写真右上) 西郭下の「米蔵」標柱 |
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西郭(写真左上) 規模は東西40m×南北130mほど、武者溜から坂虎口で繋がっています。でっ、内部から焼米が出土したことから「米蔵」と呼ばれています。 |
主郭(写真右上) 規模は東西40m×南北120mほど、周囲は高さ5−6mの切岸に加工され、西側に切り込み式の「折れ虎口」が設けられています。(写真左) |
(写真左下) 主郭・北郭間の堀、幅10−15m×深さ5−6mほど。 |
(写真右下) 北郭の切岸 |
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主郭・東郭間の堀は幅20m×深さ5−6mほど(写真左上)、北縁に濠留と思われる幅3mの土堤が築かれており(写真右上)、たぶん堀は湿地状だったと思われます。(現在も湿気っています) |
東郭(写真右) 規模は幅30−40mほど、城中枢を防御する外郭だったのでしょう。 |
北郭(写真左下) 規模は東西80m×南北40mほど、北東隅に小社が祀られています。(写真右下) ま〜〜〜、北西方向を監視する郭と思われます。 |
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北郭の北側に稜線を掘り切って櫓台(?)が削り残され、周囲は平場に加工されています。(写真左上ー堀 写真右上ー櫓台と平場 写真左ー北郭北側の平場) だいたいこのあたりの平場で周辺との高低差は5−6mほど、現在 縁部に沿って用水堰がありますが、往時は湿地帯だったのでしょう。(写真左下) |
城の大手は西側中央に設けられ、導線は西郭の北側下を通り、北郭・西郭間の堀底道を経て、主郭・西郭間の武者溜に繋がっています。(写真右下ー大手口) でっ、この間 導線は2度クランクさせています。 |
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(写真左上) 西郭北側下の導線 |
(写真右上) 堀底道 |
(写真右) 北郭南東側下の虎口堀 |
(写真左下) 北郭・西郭間の郭 |
大手口から武者溜空間へは前記したルートのほか、西郭の北東側からじかに主郭・西郭間の堀に迂繋がるルートも見られますが、あまりにも直線的なため、たぶん後世 農作業用に設けられたものなのでしょう。(写真右下) |
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