 |
 |
 |
現在、日野城址は廃城後の開墾、戦後の日野川ダム建設等により相当 改変されていますが、主郭部分は比較的 遺構が残存しています。日野城の主郭は高土塁で囲郭された甲賀特有の方形郭が想定され、規模は東西100m×南北100mほど?。北側に濠(写真左上・右上)と土塁が部分的に残存し、分厚い土塁上に稲荷社、涼橋神社が祀られています。でっ、北からの導線は濠に架けられた土橋を渡り、北東側の虎口から主郭内部に入ります。(写真左・左下・右下) |
|
 |
 |
 |
 |
北側の分厚い土塁上には稲荷社や仁正寺藩市橋氏が勧進したと伝えられる涼橋神社が祀られています。(写真左上ー稲荷社 写真右上ー北東隅の涼橋神社) |
昭和40(1965)年、日野川ダムの建設により日野城の大部分は消滅しています。本来、写真に見られる部分は日野川に面した城壁だったと思われます。(写真右) |
|
 |
 |
仁正寺藩藩庁祉(写真左)
元和6(1620)年、市橋長政は仁正寺藩を立藩して日野城の北側外郭部に陣屋を構えました。陣屋の建物・施設は「明治維新」後、移築され 現在 藩庁祉碑が建てられています。 |
|
|