上 行 寺
三重県伊賀市(旧伊賀上野市)上野寺町
正式名称は
「長栄山 上行寺」
。宗派は日蓮宗、御本尊は十界曼荼羅。創建は天正13(1585)年の
「紀州征伐」
後、紀伊国根来を所領として宛がわれた藤堂高虎が同16(1588)年、根来城(猿岡山城)下に藤堂家の菩提寺として建立したのが初源とされます。その後、高虎は文禄4(1595)年、伊予国
板島
(
宇和島
)
に、慶長5(1600)年の
「関ヶ原」
後 伊予国今治に、さらに同13(1608)年 伊勢・伊賀国に所領を宛がわれます。そして
上行寺
も藤堂家の転封の度に移転され、慶長16(1611)年 現在地に移築されました。寛永7(1630)年の高虎 死去後、二代藩主 和泉守高次は津城下の昌泉院を高虎の菩提を弔うための寺院に改修し、高虎の戒名(
「寒松院殿道賢高山権大僧都」
)から寒松院と改称して藤堂家の菩提寺としました。そして
上行寺
は藤堂家の伊賀国菩提寺とされ、このため境内には津藤堂藩藩主の墓碑が立ち並んでいます。
(場所は
ココ
です)
山門
本堂
(写真下) 津藩藤堂家の墓所
(写真左) 津藩初代 佐渡守藤堂高虎の墓碑
戒名
は
「寒松院殿道賢高山権大僧都」
二代藩主 和泉守高次の墓碑
高虎の次男 高重の五輪塔
(写真下) 三代藩主 和泉守高久の墓碑
(写真左) 四代藩主 和泉守高睦の墓碑
五代藩主 和泉守高敏の墓碑
六代藩主 大膳亮高治の墓碑
(写真左) 七代藩主 和泉守高郎の墓碑
(写真下) 八代藩主 和泉守高悠の墓碑
九代藩主 和泉守高嶷の墓碑
十代藩主 和泉守高兌の墓碑