平 城
秋田県湯沢市(旧稲川町)川連町字上平城
立地・構造
 平城は皆瀬川の中流域、右岸の微高地に築かれた平城らしいです。規模は100−110m四方ほど、北ー東ー南側を堀で画し、西側は段丘崖で仕切っていたと思われます。堀の幅は推定 5−6m、土塁は高さ1mほど。現在、城址は湯沢市役所稲川庁舎になっています。

  築城時期・築城主体・城主ともに不明。伝承によると出羽の俘囚長 清原武衡の家臣 梶美作が拠した居館とも。しかし
永保3(1083)年、清原氏の内訌(「後三年の役」)が勃発すると平城は源義家・清原清衡勢の攻撃を受け落城したと伝えられます。またその後の南北朝期頃、稲庭小野寺氏の庶流 「かわつ良殿」川連城の日常居館として取り立てたものと推測されています。
歴史・沿革
平城 城址碑
メモ
川連小野寺氏の居館か?
形態
平城
別名
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遺構
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場所
場所はココです
駐車場
湯沢市役所稲川支所の駐車場借用
訪城日
令和3(2021)年5月12日
平城は大館市街地の東方800m、現在 湯沢市役所稲川庁舎の建つ敷地がそれだったようで、稲川庁舎が建設される以前は堀祉や土塁の一部が確認できたようです。(写真左上ー西側からの近景 写真右上ー東側からの遠景 写真左ー南側からの遠景) でっ、現在は西縁に「古城祉」の石碑が建つのみ。(写真左下) また平城の東方1.3kmに「かわつ良殿」の要害 川連城があり、川連城の要害とした「かわつ良殿」の日常居館と推測されます。
大館平城の西方800ー1000m、皆瀬川右岸の河岸段丘上に築かれた平城らしいのですが ・・・・・、現在 城址は大館市街地に吸収され遺構等はありません。(写真左上ー北東側からの遠景) 規模は推定 東西200m×南北350mほど、北ー東ー南側に人為的な堀を穿ち、西側は皆瀬川を自然の濠としていたようです。『大舘村創村事由』によると鎌倉初期頃、小野寺道時(道綱)の次子 道則(道矩)により築かれたとされます。集落内に小野寺氏が勧請した日吉神社、八幡神社が祀られています。(写真右上ー日吉神社 写真右ー八幡神社)