三 梨 城
秋田県湯沢市(旧稲川町)三梨町字下宿
立地・構造
 三梨城は皆瀬川下流部の右岸、国見岳(標高568m)から北西方向に張り出した稜線突端(比高30m)に築かれた丘城です。規模は東西150m×南北200mほど、城域は北ー東ー南側に切り込んだ沢を濠に見立てて区画されています。城縄張りは南北に細長い頂部を加工した主郭を中心に、東・西側下に帯郭を敷設したシンプルな構造になっていて、西側に大手虎口、北東側に搦手虎口が設けられていたようです。主郭の規模は東西60m×南北150mほど、内部は低い段差で4段に加工され、中
三梨城 概念図
央西端に土壇(櫓台?)が構えられています。同地は皆瀬川中下流域の沖積平野を眺望できる高所に位置します。

 築城時期・築城主体ともに不明。一説に戦国中期、小野寺中務太夫泰道の次子 上野介晴道の子 道実により築かれたとも。その後、道実の家系は三梨氏を称して三梨城に居住し、道英の代の文禄5(1596)年 鮭延典膳秀綱率いる最上勢の攻撃をうけて三梨城は落城したと伝えられます。
歴史・沿革
三梨城 主郭西側の高台(土壇)
メモ
三梨小野寺氏の館城
形態
丘城
別名
沼田城
遺構
郭(平場)・土塁・虎口・堀(濠)祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成29(2017)年5月10日
三梨城は皆瀬川の右岸、三梨地区背後(東側)の小丘陵に築かれた丘城です。(写真左上ー南西側からの遠景 写真右上ー西側からの遠景) でっ、城のある丘の西側は民家が密集していたため、管理人は北側の沢に沿って東進し(写真左)、北東隅の沼地(写真左下)の脇からアプローチしました。でっ、ここにはスロープ状の折れ導線が設けられていて、三梨城の搦手口にあたるようです。(写真右下)
(写真左上・右上) 搦手虎口、スロープ状の折れ導線になっています。
でっ、搦手虎口が設けられているのが、主郭東側の腰郭で規模は幅15−20mほど。(写真右) ここから導線は主郭の北側に繋がっています。(写真左下ー主郭の北側) さらに主郭の西側に3−5m幅の帯郭が2段 敷設されています。(写真右下)
(写真左上) 西側の帯郭ー北西部
主郭の規模は西60m×南北150mほど。(写真右上) 内部は1m弱の段差で北ー南に4段に削平され、南端に高さ1.5mの土塁が築かれ、中央西側に高さ1.5mの方形の土壇が築かれています。(写真左) 土壇の規模は東西15m×南北20mほど(写真左下)、北縁に5m×15m×高さ1mの土塁が築かれ(写真右下)、中央に石の祠(八幡宮・真山宮)が祀られています。
(写真左上) 石の祠
(写真右上) 主郭の南部
(写真右) 南縁の土塁
主郭の大手虎口は主郭の北西部に設けられ(写真左下)、導線は西側下の帯郭を縫うように主郭に繋がっています。
三梨城の北西部に幅30mの広い平場が設けられていて(写真左上)、南端に虎口が設けられています。(写真右上) でっ、この虎口を下ると大手口?と思われる民家脇にでます。(写真左)
 
ー 動画 三梨城を歩く ー