天 祐 寺
長崎県諫早市西小路町
 正式名称は「坤松山 天祐寺」(こんしょうざん ゆうてんじ)。宗派は曹洞宗、御本尊は釈迦牟尼仏。創建は和銅ー神亀(708ー729年)年間、全国行脚中の行基上人が諫早の坤松山に足を止め、ここに天祐寺の前身寺院を開基したことを初源とします。その後、文明年間(1469ー87年) 西郷石見守尚善が諫早に進出し、天祐寺永正ー大永(1504-28年)年間 尚善が肥前南江の保福寺から春岡揚富禅師を招いて西郷氏の菩提寺として創建されました。しかし天正15(1587)年、西郷肥前守信尚が羽柴秀吉の「九州の役」に参陣しなかったため除封され、諫早に龍造寺氏の庶子家 龍造寺上総介家晴が据えられ、天祐寺は諫早龍造寺家の菩提寺に取り立てられました。(場所はココです)
山門 
本堂 
諫早家墓所 
諫早家の初代 上総介家晴から 直孝ー茂敬ー茂真ー茂門ー茂元ー茂晴ー茂行ー行孝ー茂成ー茂図ー茂洪ー茂喬ー茂孫ー武春ー一学ー家祟ー家興 と続く当主、一族の墓所。
島原の乱戦没者追悼碑 
「島原の乱」から三十三回忌にあたる寛文12(1672)年に建立された追悼碑。碑にはで戦没した武士六十七名、又者十四名、百姓十一名、計 九十二名の名が刻まれています。