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滝井館は津軽平野の中央部、浪岡川西岸の平野部の築かれた単郭構造の平城らしいです。城の規模は東西80m×南北?mほど(南・北の境目が不明瞭のため)、周囲を堀と土塁で囲った典型的な方形館と推測され、虎口は東側に設けられていたようです。現在、内部は宅地、耕作地になり、周囲の堀、土塁も宅地化等で消滅し、明確に残るのは西側の土塁のみ。
滝井館は永禄元(1558)年、「浪岡御所」 北畠式部少輔具運の弟 左衛門尉顕 |
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範により浪岡城の西方の抑えとして築かれたと伝えられます。しかし顕範が滝井に分封したことで、滝井に隣接して所領をもつ「川原御所」 北畠具信は具運に対して不満をいだくようになり、同5(1562)年 具信は具運を殺害しました。(「川原御所の乱」) そして乱はただちに駆け付けた顕範が具信を討ち取って終結しましたが、このことで動揺し北畠家中から離脱するものが頻発したため 「浪岡御所」の勢力は衰退しました。そして天正6(1578)年、大浦為信は不意に浪岡城を攻略し、浪岡北畠氏は滅亡します。この際、滝井館も自落したと伝えられますが、その後 顕範の孫 顕佐が滝井館に居住し、子孫は代々 滝井館に居住しました。 |
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滝井北畠氏の居館 |
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平城 |
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古舘・館野越館 |
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郭(平場)・土塁・堀祉? |
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場所はココです |
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滝館会館(公民館)の駐車場借用 |
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平成23(2011)年4月14日 |
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場所がイマイチわからないまま訪城したのですが ・・・・・、館野越地区の道路沿いに標注を発見!!!(写真左上)、場所を特定しました。(写真右上)
とは言うものの標柱脇の説明板によると北畠氏の子孫の方が今でも居住しているとのことで、内部は一切 立入禁止。遺構としては西側にかなり崩落しているものの、高さ3m前後の土塁が部分的に残存し(写真左・左下)、また南東側に濠祉と思われる窪地、用水堰が見られるのみ。(写真右下) |
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