宗 義 純 の 墓 所
長崎県対馬市(旧厳原町)厳原町日吉
 宗常陸介義純(よしずみ)は対馬宗家十五代当主 宗刑部少輔将盛の三男として誕生したと伝えられます。天文8(1539)年、父 将盛が家臣団の叛乱により当主の座を追われると、宗家の家督は将盛の伯父 讃岐守晴康、晴康の嫡子 刑部少輔義調(よししげ)に受け継がれます。永禄9(1566)年、義調は家督を養子の茂尚(将盛の次子)に譲り隠居しましたが、同12(1569)年 茂尚が早世したため、当時 伊奈郡主をつとめていた義純が宗家の家督を継承しました。しかし義純もまた病弱であったため 天正7年(1579)年、末弟の刑部少輔義智(よしとし)に家督を譲り、翌8(1580)年 死去したとされます。義純の墓所は厳原町日吉の長寿院に近い民家わきにあります。(場所はココです)
宗義純の五輪塔 
宗義純の五輪塔 
宗義純の五輪塔