多 久 頭 魂 神 社
長崎県対馬市(旧厳原町)厳原町豆酘龍良山
 多久頭魂神社は対馬南端の豆酘地区に鎮座する古社で、延長5(927)年に編纂された『延喜式 神名帳』に記載された「対馬国下県郡 多久頭神社」に比定されている「式内社」です。創建時期は不明、神武天皇の御代とも。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)日子穂穂出見尊(ひこほほでみのみこと)彦火能邇邇芸尊(ひこほのににぎのみこと)鵜茅草葺不合尊(うきやふきあえずのみこと)の五柱。承和4(837)年には従五位下に叙任されています。(『続日本後紀』 承和四年二月五日の条多久頭魂神社は古来より対馬特有の「天道信仰」の聖地とされ、本来は拝殿を設けず 天道山(龍良山)の遥拝所になっていました。平安中期以降、「天道信仰」には仏教的な要素が加わって神仏習合の形態となり、 多久頭魂神社「豆酘御寺」を称して祭祀は神宮寺で行われるようになります。しかし明治初年の廃仏毀釈により名称は多久頭魂神社に改称され、廃寺となった「豆酘御寺」の観音堂を社殿としました。なお社宝の「観音堂 高麗版大蔵経」が県の有形文化財に、「梵鐘」が国の重要文化財に指定されています。(場所はココです)
一の鳥居 
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 鐘楼
別名 「豆酘観音堂鐘」。記銘文により初鋳は平安期の寛弘5(1008)年、改鋳が仁平3(1153)年、南北朝期の康永3(興国5 1344)年と認知されています。また記銘文には宗氏以前の対馬の有力者 阿比留氏の名が刻まれており、梵鐘の制作に関与していたと思われます。
高御魂神社 
『延喜式神名帳』に記載された「対馬国下県郡 名神大社 高御魂神社」に比定される「式内社」。御祭神は高皇産霊神(たかみむすびのみこと)。
神住居神社 
御祭神は神功皇后(息長帯毘売命 おきながたらしひめ)。神功皇后の三韓討伐の際、この地に行宮を設けたと伝えられます。
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神門 
拝殿 
主藤家住宅 
19世紀中頃に建築された農家住宅。内部は「本座」「台所」「納戸」からなる三間取。国の重要文化財に指定。
豆酘浦 
対馬の南端に位置する半農半漁の集落。対馬特有の神事 「亀卜」が現在も伝承されています。また稲の原生種といわれる「赤米」「神田」で生産が行われ、現在も「赤米神事」が行われています。