白 岩 城
秋田県仙北市(旧角館町)角館町白岩前郷山
立地・構造
 白岩城は仙北平野の北東部、玉川左岸の奥羽山脈の支峰 白岩岳(標高1177m)から西方向に延びた支尾根先端(比高140m)に築かれた山城です。規模は東西250m×南北500mほど、城縄張りは頂部ピークに構築された主郭を中心に南側斜面に4段の段郭群(主郭部)が、西側斜面に5段の段郭群(西郭群)が敷設されたシンプルな階郭構造で、大手筋に想定される南側稜線に大手郭と思われる小郭群が敷設されています。主郭の規模は東西40m×南北60mほど、南北180mにわたる南側稜線は2−3mの段差で区画された段郭群に加工され、規模はそれぞれ30m×45m四方ほど。西郭群は東西90m×南北50mほど、2−3m段差で区画されています。城山の東ー北ー西側斜面は
白岩城 概念図
断崖を自然の防御ラインとし、尾根続きの北東側稜線を堀で断ち切って城域を区画しています。大手筋は「根小屋」が想定される南麓からのルートと推測され、南側中腹に大手筋を守備すべく小郭が敷設されています。白岩城の縄張りはシンプルで相当古い形態をしていますが、郭の規模は比較的 大きく もともと恒常的な館城を想定して築かれたものと思われます。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主下田(白岩)氏の出自は不明、菅江真澄の『月の出羽路』天喜五(1057)年、阿部合戦(前九年の役)の時、御堂余波なく回禄て、此再興は十六沢の領主にて大職冠鎌足公の後にて、白岩の城主 左近将監有信朝臣といふ君あり、其家臣に宮藤六兵衛尉藤原正重といふ雄士あり、白岩殿とて威光世にかかりけり ・・・・・」と記され、また『秋田風土記』に貞永元(1232)年、十六沢城主 宮藤六兵衛が下田善左衛門に攻められ降伏し、その後 宮藤氏が下田氏の配下になったことが記されており、下田氏は平安末ー鎌倉期からの在地勢力と推測されます。『戸沢家譜』によると白岩氏は南北朝期以降、美作守盛国ー弥十郎盛通ー備前守盛遠ー弥十郎盛房と続き、当初は戸沢氏と対立していました。しかし15世紀中期以降、戸沢氏が仙北平野への侵略を進める過程で、下田弥十郎盛忠は戸沢氏と婚姻関係(同盟関係)を結び(戸沢寿盛の母は下田弥十郎盛忠の娘と伝わります)、以後 戸沢氏の与力衆となりました。亨禄2(1529)年、角館城主 戸沢飛騨守秀盛が死去し嫡子の道盛が家督を継ぐと、叔父の淀川城主 戸沢上総介忠盛が道盛の後見役として角館城に入り 戸沢氏惣領の奪取を企てましたが、下田備前守盛任は道盛の外戚 楢岡氏や六郷、本堂氏等とともに忠盛のクーデターを阻止しています。また天文10(1541)年、沼館城主 小野寺稙道が角館城攻略に動くと、盛任は楢岡、本堂、六郷氏とともに小野寺勢と対峙し、戦国末期の当主 兵庫頭盛重、盛直は天正14(1586)年の「阿気野の戦」、同15(1587)年の「唐松野の戦」に参陣するなど、戸沢氏の宿老的な立場にあったとされます。同18(1590)年、豊臣秀吉の命により「戸沢三十五城」の一つとして破却。
歴史・沿革
白岩城 主郭背後の堀切
メモ
「戸沢三十五城」 戸沢氏の与力 白岩(下田)氏の「要害」
形態
山城
別名
・・・・・・・・ 
遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
登り口前に駐車場あり
訪城日
平成20(2008)年5月30日 令和3(2021)年4月16日
白岩城は仙北平野の北東部、白岩地区背後(東方)の丘陵ピークに築かれた山城です。(写真左上ー南西側からの遠景) でっ、城へは南麓の古城神社の鳥居から登山道が敷設されています。(写真右上) 登山道は南西側斜面につずら折れに敷設され(写真左)、じきに郭祉と思われる平場に辿り着きます。(写真左下) 規模は東西30m×南北20mほど、でっ 登山道はここから南側に延びた稜線の東側側面を通るように設定されています。(写真右下)
また登山道をしばらく登ると虎口らしき切り込みが見えてきます。(写真左上) ま〜〜〜、後世に切られたもののようにも見えますが、切り込みの周囲は明かに平場になっており、たぶん ・・・・・、ここも郭祉なのでしょう。(写真右上・右) 規模は東西50m×南北10−15mほど、でっ ここから登山道は堀底道になり(写真左下)、主郭部の南西端からクランクして主郭部の下段に繋がっています。(写真右下ー主郭部の南西側下) ちなみにクランクせず直進すると主郭部の西側をカバーした帯郭に繋がっています。
白岩城 五郭
(写真左上) 主郭部への導線、このルートが往時の導線かは不明。
主郭部(写真右上ー最下段郭) 南北に細長い稜線ピークを加工した段郭群で規模は東西40m×南北180mほど、内部は2ー3m前後の段(写真左)で区画された五段構造になっています。規模は五郭が東西40m×南北35m、四郭が東西35m×南北30m(写真左下)、三郭が東西30m×南北30m、二郭が東西30m×南北30m、主郭が40m×60mほど。主郭に現在、古城神社が祀られています。
白岩城 四郭 白岩城 三郭
白岩城 二郭 白岩城 主郭
(写真左上) 二郭
(写真右上・右) 主郭
(写真左下) 主郭の北東土塁、高さ1m
(写真右下) 古城神社
 
白岩城 主郭
白岩城 主郭の土塁
西郭群(写真左上ー上段) 主郭の西側に構築された段郭群。規模は東西90m×南北50mほど、内部は2−3mの段差で区画された五郭構造に加工されています。(写真右上ー西二郭 写真左ー西三郭)
白岩城主郭の東側稜線を堀で分断して城域を独立させています。堀の規模は幅10m前後×深さ7−8mほど。(写真左下・右下)
白岩城 堀切 白岩城 堀切
白岩平城、白岩氏の日常居館が構えられていたのでしょう。ロケーションとしては玉川左岸の段丘先端に位置し、玉川沿いの沖積平野を望む要地に位置します。(場所はココです) 雲岩寺、正式名称は「滝澤山 雲巌寺」、宝徳2(1450)年 白岩左馬之助盛基が創建したと伝えられる古刹。
ー 動画 白岩城を歩く ー
秋田の中世を歩く