天 寧 寺
秋田県仙北市(旧角館町)角館町上新町
 天寧寺は角館町上新町に所在する曹洞宗寺院です。開基は文安4(1447)年、蘆名盛信が陸奥国会津黒川の東山に創建したことが初源とされ、以後 会津蘆名氏の菩提寺として庇護されました。しかし天正17(1589)年、佐竹家から蘆名家に入嗣した蘆名義広(後の義勝)が「摺上原の戦」で伊達勢に敗北を喫し 会津を追われて常陸に遁れると、会津天寧寺も戦火により焼失したとされます。慶長7(1602)年、佐竹義宣が出羽国秋田に転封になると義広はこれに同道し、角館に所領を宛がわれました。角館に入部した義広は古城山の南西麓に居館を構え、また戸沢氏時代の城下を古城山の南麓に移して町割りを行い、寛永年間(1624−45年)初期 城下東方の花場山の麓に「萬松山 天寧寺」を創建して横手正平寺の鉄心快牛を招いて開山しました。しかし慶安4(1651)年、義勝のあとを継いだ盛俊が死去、さらにそのあとを継いだ千鶴丸が承応2(1653)年 夭折したため蘆名家は断絶しました。その後、角館には佐竹北家の佐竹主計義隣(よしちか)が入部し、佐竹北家の菩提寺を「久米山 常光院」に設けたため、天寧寺は地域住民に維持されたと伝えられます。(場所はココです)
山門 
本堂 
蘆名家の墓所
蘆名家の墓所 
中央の一番高い墓碑が義勝の墓碑、その左隣に義勝の子 盛泰、盛俊の墓碑が建てられています。
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