村 岡 陣 屋
兵庫県美方郡香美町(旧村岡町)村岡区村岡
立地・構造
 村岡陣屋は湯舟川の北岸、村岡地区背後の尾白山中腹(比高50m)に築かれた近世陣屋で、北ー西側は昆陽川の段丘崖、南側は湯舟川の段丘崖で区画された要害地形に位置しています。内部には陣屋政庁・居館・大手門・中門・長屋・鎮守社・煙硝櫓・練兵場等が構えられていたようですが、後世の改変等により遺構は消滅しています。

 旧因幡国守護職だった山名宮内少輔豊国は慶長5(1600)年の「関ヶ原」での軍功により但馬国七美郡五郷の領地を与えられ、福岡に陣屋を構えて代官支配していましたが、三代 伊豆守矩豊の代に陣屋黒野村に移して名称を村岡に改めました。そして矩豊は寛永19(1642)年、但馬に下向し 以後、山名家は「交代寄合」として「明治維新」まで村岡に居住しました。明治元(1868)年、因幡守義済(よしなり)「明治新政府」から加増を受けて村岡藩を立藩しましたが、「廃藩置県」により陣屋は破却されました。
歴史・沿革
村岡陣屋 陣屋祉
メモ
中世 ー 「六分の一殿」の終の棲家
近世 ー 交代寄合 村岡山名氏の陣屋
形態
近世陣屋(平山城)
別名
御殿山 
遺構
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場所
場所はココです
駐車場
御殿山公園駐車場
訪城日
平成21(2009)年3月27日
村岡陣屋は公園整備等で改変され(写真左上)、遺構はないようなので、村岡の街を歩きました。(雨だというのに ・・・・・) 現在の村岡地区は山名矩豊が下向後、城下・宿場町として整備したもので、湯舟川に沿った「因幡街道」沿いの街村になっています。(写真右上) 藩政期、陣屋から「因幡街道」御成道が通り大門で繋がっていたとされます。(写真左ー現在の模擬大門)
法雲寺(通称 山名寺
寛永19(1642)年、村岡に下向した矩豊がもともと同地にあった報恩寺を山名宗家の菩提寺とし、名称を法雲寺に改称したと伝えられます。 
山名家壺渓御廟
陣屋の北方100mにある村岡山名氏の第二廟所。三代 伊豆守矩豊から十代 主殿助義問までの墓碑が弔なわれています。
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