五箇山の合掌集落
富山県南砺市(旧上平村)菅沼、(旧平村)相倉
 越中南部の庄川中流域は標高1000mを越える山々と庄川の峡谷に囲まれた陸の孤島で、古くから五箇山(赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷)と呼ばれています。五箇山の初源は平安末期、「倶利伽羅峠の戦」に敗れた平家の残党が隠れ住んだとも、また南北朝期 南朝方の勢力により開拓されたとも伝えられています。五箇山の史料上の初見は戦国初期、本願寺9代門主 実如の書とされ、この頃 五箇山は越中一向一揆勢力の影響下にあったものと思われます。またこの地は日本有数の豪雪地帯で、このため傾斜の急な屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれました。五箇山の主要産業は養蚕や紙漉き、塩硝など、江戸期には米で年貢を納めることができず、商品作物を換金して年貢を納めていました。また江戸期、この地は加賀前田藩の流刑地が置かれていました。
菅沼集落 
菅沼集落は庄川右岸の段丘上に位置する小さな集落です。集落内には九棟の合掌造家屋が残っています。(場所はココです)
菅沼集落 
菅沼集落 
菅沼集落 
五箇山の合掌造家屋の屋根の茅葺はコガヤ(チガヤ)を材料とすることが特徴になっています。茅葺の葺き替えは昭和30年代(1955ー64年)までは「結」と呼ばれる集落の共同作業で行われていましたが、現在は富山県西部森林組合が行っています。
相倉集落 
相倉集落は庄川左岸の段丘上に位置する集落です。現在、集落内には二十一棟の合掌造の建物が残っています。(場所はココです)
相倉集落 
相倉集落 
相倉集落 
ー 動画 五箇山合掌集落を歩く ー