福 館
秋田県北秋田郡上小阿仁村福館
立地・構造
 福館は小阿仁川中流域の左岸、南東方向に半島状に張り出した低丘陵先端(比高10m)に築かれた単郭構造の平山城です。城の規模は東西180m×南北80mほど、南⇒東⇒北側を北流する小阿仁川を自然の濠とし、西側の丘陵基部を堀で断ち切って城域を区画していたと思われます。基本的に在地に根ざした開発領主の恒常的な居館と思われます。
 築城時期・築城主体・城主ともに不明。『奥羽永慶軍記』(客観的史料でないため、あまり使用したくないのですが ・・・・・)によると慶長8(1603)年、秋田に入部し た佐竹氏支配に反対する「阿仁一揆」が起こった際、在地土豪の飛塚九兵衛は杉花弾兵衛、芹田弥二朗とともに福館に籠ったとされます。また『六郡郡邑記』によると現 福館地区は延宝8(1680)年以降、福館村と呼ばれるようになり、それ以前は飛塚村と呼ばれていたことから館主は飛塚氏と推測され、近世初頭まで防御施設を保持した城館だったと思われます。
歴史・沿革
福館 館祉に祀られる八幡神社
メモ
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形態
平山城
別名
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遺構
郭(平場)・堀
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成20(2008)年5月1日
福館は福館地区の南東方向に張り出した丘陵先端に築かれた平山城です。(写真左上) 館の南から東側は小阿仁川が迂回するように北流し、往時 周囲は小阿仁川の氾濫原だったと推測されます。でっ、館の北ー東ー南側は段丘崖で画され、西側の丘陵続きを堀で断ち切って独立させていたと思われます。(写真右上ー西側の堀切?) 内部は単郭構造で、規模は東西180m×南北80mほど。(写真左) 現在、八幡神社の社地になっています。(写真左下) また館の東側に堀を利用したと思われる切通しが見られます。(写真右下)
七倉城から福館を望む(写真右) 小阿仁川上流域の狭い沖積平野が望む高所に位置しており、開発領主の日常居館と思われるのですが ・・・・・。
秋田の中世を歩く