南 台 寺
青森県五所川原市(旧金木町)金木町朝日山
 正式名称は「金龍山 南台寺」、金木市街地にある浄土真宗大谷派の寺院です。御本尊は阿弥陀如来像。『南台寺系譜』によると文禄2(1593)年、摂津国東成郡生玉の住人 休西坊(俗名 生玉角兵衛)がこの地に草庵を結んだことが初源とされ、その後 「元和二丙辰年五尊寺号ヲ本寺ニ出願御免アリ之ヨリ南台寺ト公称ス」とされます。また三世玄貞上人の代に「宝永二年新ニ御本尊寺号下賜セラル」とされます。そして明治初年の『新撰陸奥国誌』「寛文四甲辰年当郡に錫を留め、延宝三乙卯年十一月十日草創せりと云り」とあり、享和3(1803)年の『奥州津軽惣法中草創寺別帳』では元禄3(1690)年の創建としています。また明治末期、十一世 慈照上人は青少年教育の為、私財を投じて本堂に「日曜学校」を開設しています。太宰治の『思ひ出』「六つ七つになると思い出もはっきりしている。・・・・・ 読む本がなくなれば、たけは村の日曜学校などから子供の本をどしどし借りて来て私に読ませた。私は黙読することを覚えていたので、いくら本を読んでも疲れないのだ。」と記されています。なお南台寺は太宰治の生家 津島家の菩提寺として知られ、大正14(1925)年 太宰の長兄 津島文治が鐘楼を奉納しています。(場所はココです)
 山門
 鐘楼
梵鐘は「弘前松峰山長永寺 四代大行院先達阿闍梨法印」の銘のある高さ、竜頭下二尺五寸の梵鐘で、正徳4(1714)年 津軽藩五代藩主 津軽信寿から寄進されたものでしたが、昭和19(1944)年 軍需品として徴収されました。また鐘楼は大正14(1925)年、太宰治の長兄 津島文治が寄進したもの。
本堂
 津島家の墓所
境内の一郭にある太宰の生家 津島家の墓所。往時、「金木の殿様」と称された津島家の墓所としては規模の小さいもの。なお左端の墓碑は太宰の父 源右衛門のもの、右端の墓碑は太宰の兄 文治のもの。