 |
 |
 |
横田中丸城は横田地区背後の通称 要害山に築かれた山城です。(写真左上ー北側からの遠景) でっ、城へは北麓の国道252号沿いに案内図が設置され、このうしろから山道があります。(写真右上)
でっ、只見線をこえ 急斜面を攀じ登ること10分弱で一の平に到着します。(写真左ー登山道 写真左下ー一の平) 一の平は相当広い平場ですが、北側にかなり傾斜しています。さらに一の平から登ると二の平の標柱が建っています。(写真右下) ただ ・・・・・ 周囲は藪々々になっていて平場は確認できず。また内部は一の平同様、北側にかなり傾斜しています。 |
|
 |
 |
 |
 |
二の平から導線は比高50ー60mの急斜面を直登させる堀底道になります。(写真左上) でっ、途中に道をクランクさせて導線を見下ろせる場所が設けられています。天正17(1589)年、伊達軍との戦の際
大手を攻めのぼる伊達軍に対して岩石を落としたと伝わります。でっ、直登通路を登り切ると桝形構造の虎口に辿り着きます。(写真右上) ここから主郭までの導線は何度もクランクさせ、折れー帯郭ー坂虎口ー横堀(武者隠し?)等の防御施設が敷設されています。(写真右ー横堀 写真左下ー折れ) でっ、じきに主郭の虎口に辿り着きます。(写真右下) |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
主郭(写真左上) 規模は40m四方ほど、内部に「横田山内氏の軍神 摩利支天」が祀られています。(写真右上) 眺望は雑木林に遮られイマイチですが、なければ伊北往還を見下ろすことができるのでしょう。でっ、主郭の周囲に2−3段の帯郭が巻かれ(写真左)、搦手に通じる南側の帯郭に土塁が築かれています。(写真左下) 各郭間の段差は最大4−5mほど、南側稜線は幅6−7m×深さ4−5mの堀切で断ち切られています。(写真右下) |
|
 |
 |
 |
 |
山内氏の居館
(写真左上) 只見川と山入川が合流する断崖上に築かれた中世横田山内氏の居館ですが、遺構・痕跡等はありません。基本的に土塁と濠で囲郭された方形館(平城)と推測されます。 |
(写真右上) 山内屋敷と呼ばれる近世の山内氏の居館です。規模は東西94m×南北77mほど、東ー南側の土塁、北側の濠祉が残存しています。(写真右下) |
|
 |