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青 塚 山 砲 台 |
秋田県にかほ市(旧象潟町)象潟町二丁目塩越 |
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寛永17(1640)年、矢島藩との領地交換により象潟を領地とした本荘六郷藩は塩越浜谷地に「沖の口番所」を置いて「塩越湊」の管理を行っていましたが、この番所は津波によって破壊され、天保4(1833)年 青塚山山麓に新たな番所が置かれました。幕末、異国船の日本近海への出没が頻発すると、文政8(1825)年 幕府は「異国船打払令」を発効しました。本荘藩領でも「(嘉永元年)四月廿日、去る十五日 飛嶋沖唐船相見え候に付、庄内様、吹浦、酒田、大山、鼠ヶ関御堅め人数差出候に付 此方へも御知らせこれあり候に付、塩越、金浦両所へ大筒御遣なされ候」(本荘藩小頭役 須藤五郎右衛門の『日記』)等の異国船への動きがあり、このため元治元(1864)年 本荘六郷藩は塩越村の海岸警備の為、青塚山番所に大砲掛 国松藤弥、鉄砲掛 国松嘉太郎らを配しました。明治2(1869)年、廃止。(場所はココです) |
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内部
現地説明板には砲台の石積が確認できるとの記載があるのですが ・・・・・、未確認。周辺にはケッコウ大きい石塁がゴロゴロしているのですが ・・・・・・。 |
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