熊野神社は平安後期の天喜3(1055)年、「前九年の役」の際 源頼義が戦勝祈願のため、熊野堂村に熊野神社を勧請したのが初源とされます。その後、寛治3(1089)年の「後三年の役」の際、源義家が現在地に熊野新宮社を遷座・造営したと伝えられ、最盛期 境内に300余りの堂社が立ち並んでいましたが、平安末期 越後の城長茂に横領されて衰退しました。しかし鎌倉初期、源頼朝から寄進を受けて熊野神社は次第に勢力が回復し、鎌倉中期 佐原盛連の六男 時連が新宮に入封して新宮氏を称すると、熊野神社は新宮氏の守護神として崇拝され保護されました。しかし応永27(1420)年、新宮城は蘆名勢の攻撃を受けて陥落、新宮氏は没落し 熊野神社はふたたび衰退しました。慶長6(1601)年、会津に入封した蒲生秀行は熊野神社に扶持米を給して保護に乗り出しましたが、同6(1611)年の「会津地震」により本殿以外の建物は倒壊し、同19(1614)年 会津藩主 蒲生忠郷の手により長床は再建されました。その後、熊野神社は会津松平家の祈願所として保護されました。現在、境内に熊野三社本殿、文殊堂、観音堂、長床が残っています。(場所はココです) |
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長床
長床は平安末ー鎌倉初期頃、拝殿として建築されたと推測されています。様式は茅葺き寄棟造り、規模は正面 九間×側面 四間。建物は慶長16(1611)年の「会津地震」で崩壊したものを、同19(1614)年 一回り小さい規模で再建されました。国の重要文化財。 |
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