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新宮城は新宮地区北側の平野部に築かれた平城です。(写真左上ー主郭内部) でっ、城址の大部分は圃場整備事業により相当改変されていますが、主郭だけは なぜかクッキリと明確に残存しています。主郭の規模は120−130m四方ほど、佐原(新宮)時連が築城した初期の新宮城は土塁と堀で囲郭された主郭のみの単郭の方形館だったのでしょう。でっ、主郭の周囲に幅10−15mの堀(濠)が巡らされ、四隅は櫓台状に高く設定されていたようです。(写真右上ー北側の堀 写真右ー東側の堀 写真右下ー西側の堀
写真右下ー南側の堀) なお 土塁は消滅しています。 |
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主郭を囲った外郭部分室町初期(14世紀末ー15世紀初期)頃、蘆名氏内部の抗争激化により拡張されたものなのでしょう。(写真左上ー北外郭 写真右上ー東外郭 写真左下ー西外郭
写真右下ー南外郭) でっ、北・南側は扇状地形を刻む深い小谷を堀(濠)に取り立てたものと推測されます。堀(濠)の規模は幅15−20mほど。 |
高館城(写真右下) 新宮城から北西1.6kmにある「詰の城」、新宮盛俊は応永年間(1394−1427年)、ここに籠って嫡流 蘆名勢と対峙したのでしょう。 |
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(写真左上・右上) 南側の外郭濠祉 |
(写真右) 外郭南東部に残る外郭の土塁痕。規模は下幅5−6m×高さ1.5m×長さ25mほど。(たぶん高さはもっとあったと思われます) でっ、この規模の土塁が外郭ラインにそって構築されていたのでしょう。これって相当な土木量だと思われるのですが ・・・・・。 |
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