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柏木城は大塩川上流域左岸の丘陵上に築かれた山城で、北麓を米沢街道が通っています。(写真左上ー北側からの遠景 写真右上ー北東側からの遠景) でっ、城へは国道459号沿いの清野六郎屋敷から登山道が設けられています。(写真左・左下ー清野六郎屋敷 写真右下ー登り口) なお清野六郎屋敷は綱取城主 松本氏の支城として配下の清野氏が米沢街道沿いに築いた城砦(居館?)とされますが、永正2(1505)年に勃発した蘆名氏の内訌により落城し、柏木城が築かれた際 郭の一部として取り立てられたものと推測されます。 |
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登山道は柏木城の北西縁に沿って敷設され、途中 虎口?と思われる箇所も見られ(写真左上)、じきに北曲輪群に辿り着きます。北曲輪群 中段の郭は東西160m×南北40−50mほど(写真右上)、北縁は削り残した土壇に加工され(写真右)、東端に石積の基壇で構築された虎口が設けられています。(写真左下)
でっ、北西麓からの大手導線はこの虎口を通り さらに北曲輪群(段郭群)を経て主郭部に繋がっていたのでしょう。 |
西曲輪群(写真右下) 主郭部の西側斜面に設けられた郭群で、下段の郭が規模が大きく東西40m×南北100mほど。 |
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柏木城の西側には深く沢が切り込み、クランクして南西側の濠に繋がっていました。でっ、濠は土橋を兼ねた堀留土塁で仕切られ、土橋の西側に搦手虎口が設けられていました。(写真左上・右上)
濠の規模は幅20−30m×長さ240mほど、堀留土橋で水量調節した水濠だったのでしょう。(写真左) でっ、濠に面して城側は高さ3−4mの切岸に削崖され、上部は馬場と呼ばれる平場になっています。(写真左下) そしてこの平場の東端に主郭部に繋がる虎口(南虎口)が設けられていました。(写真右下) |
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南虎口(写真左上・右上) 外部と主郭部を繋ぐ虎口は東ー西ー南ー北の四箇所に設けられ、このうち南虎口が搦手虎口と想定され、主郭部をカバーした帯郭に繋がっています。でっ、虎口は石積みで構築された桝形構造だったようです。 |
主郭部の西ー南ー東側下には最大幅30mの帯郭が巻かれています。(写真右ー西帯郭 写真左下ー南帯郭 写真右下ー南東帯) でっ、帯郭の南東ー東縁に高さ1−1.5mの低めの土塁が巻かれ、西端に食い違い虎口が設けられていました。また南東端に石積(石塁列)で構築された弧状の石積遺構が残っています。 |
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(写真左上) 東帯郭 |
(写真右上) 西虎口 |
(写真左) 南東土塁 |
(写真左下) 石積土塁 |
(写真右下) 南東端の石積遺構、石積は高いところで4−5段、用途は不明ですが馬屋、倉庫あるいは宗教施設と推測されています。 |
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北東虎口(写真左上) 南虎口からの導線は南帯郭⇒東帯郭を経て この虎口に繋がっていました。また北西麓からの大手導線もここに繋がっており、主郭の表門だったのでしょう。虎口は側面を石積で加工した埋門形式だったようです。 |
主郭(写真右上) 規模は東西90m×南北70mほど、内部は低めの石積土塁の段差(写真右)で区画された三郭(北西・北東・南)からなり、このうち北西郭が中枢と推測されています。また西ー南ー東縁に最大高3−4mの土塁が巡らされ東端に石積で構築された櫓台が構えられていました。(写真左下ー西土塁
写真右下ー東土塁) |
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(写真左上) 東端の櫓台 |
(写真右上) 中枢(北西郭)の虎口石組 |
(写真左) 中枢(北西郭)の掘立建物祉 |
主郭の西側には堀を挟んで副郭が設けられ、土橋で繋がっていました。(写真左下ー主郭・副郭間の堀 写真右下ー土橋) 堀の規模は幅5−6m×深さ2mほど。 |
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副郭(写真左上) 規模は東西20m×南北45−50mほど、西ー南縁に高さ1−1.5mの土塁が築かれています。 |
(写真右) 主郭東側の切岸石積 |
(写真左下) 馬出への虎口 |
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主郭部・東郭間は幅10m×深さ5−6mの堀で分断されています。(写真左上) 土橋は設けられていませんが、木橋で導線が確保されていたと思われます。 |
東郭の西端には小規模な丸馬出が構築され、主郭部と繋がっていました。(写真右上) 規模は東西10−15m×南北20mほど、周囲は低めの土塁で囲まれ(写真左)、一部 石積が確認されています。(写真左下)
また虎口は南西端に設けられた小規模な桝形構造だったようです。(写真右下) |
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(写真左上) 馬出の周囲には溝のような浅い堀が巡らされています。 |
東郭(写真右上・右) 馬出を含めて規模は東西70m×南北25mほど、内部は東西の2段構造になっています。でっ、虎口は馬出虎口に隣接した南西端に設けられています。(写真左下)
また南ー東側に幅5−10mの帯郭が巻かれ(写真右下)、東側の中曲輪群、東曲輪群に繋がっています。柏木城築城当初のプランはここまでと推測され、伊達との軍事緊張が続くなか 柏木城は東方に拡張されたものと思われます。 |
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中島館(写真左上) 柏木城から北東800mに位置する小砦。規模は70−80m四方ほど、郭は輪郭状に加工されていたようです。正面に大塩に入る米沢街道を見下ろすことができ、柏木城を機能補完した監視砦と思われます。現在、大塩ー檜原間はR459−県道64号で繋がっていますが、近世までは大塩峠(萱峠)ー 蘭峠を経由して檜原に繋がっていました。旧道は現在も残っています。(写真右上ー大塩に入る旧米沢街道)(場所はココです) |
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塩井祉(写真左上) 塩の湯を湧出したとされる塩井は弘仁3(812)年、弘法大師 空海により発見されたと伝えられます。この「塩井」が大塩の地名由来です。 |