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小諸城は小諸市街地西端の段丘上に築かれた平山城で、城の南側に南谷が(写真左上)、北側に北谷と呼ばれる「田切り」の浸食谷が切り込んでいます。(写真右上) 城址は現在、懐古園として公園整備され、現存する「三の門」から入城します。(写真左) 「三の門」は本丸・二の丸と三の丸間の鞍部に位置し、寛保2(1742)年の洪水で流失したと伝えられます。現在の門は明和2(1765)年に再建されたもの。「三の門」から本丸方向への導線は二の丸南側の塁線に沿って設定され(写真左下)、二の丸と南の丸の塁線で区画された「二の門」に繋がっています。(写真右下) |
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「二の門」を過ぎると右側に二の丸に上がる石段が設けられています。二の丸は大井光為が築いた乙女城(白鶴城)が初源と伝えられます。(写真左上) 二の丸から本丸「黒門」までは北の丸(写真右上)・南の丸(写真右)に挟まれた導線が設定され、途中 導線に中仕切り門が構えられていました。(写真左下) |
小諸城の特徴のひとつは近世城郭には珍しい大堀切が見られることでしょう。(写真右下) 堀の規模は幅15m以上×深さ10m以上。「田切り」地形を利用したものと推測され、堀には黒門橋と呼ばれる「算盤橋」(引き橋)がかけられていました。 |
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本丸の東虎口(「一の門」)は「黒門」と呼ばれ、黒門橋で二の丸と繋がっていました。(写真左上) 本丸への導線は「黒門」を過ぎると本丸の城塁にぶつかって左右に分岐し、変則的な両袖枡形構造になっています。黒門から左折するルートが大手筋にあたり、本丸の南東隅の桝形虎口に繋がっています。現在、本丸内部は懐古神社の境内になっています。(写真左) |
(写真右上) 「黒門」に隣接したお駕籠台櫓 |
本丸の北ー西側は幅の広い帯郭が巻かれ、西側の帯郭は馬場(写真左下)、北側の帯郭は荒神郭と呼ばれ、荒神郭に城の水の手のひとつ荒神井戸があります。(写真右下) |
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本丸の周囲は高さ5−6mの高石垣で構築されています。(写真左上・右上) 石垣自体は「野面積」の古い形態のもので、仙石氏時代のものと推測されます。でっ、南西隅には馬場に繋がる虎口が設けられ(写真右)、北西隅には素晴らしく反った天守台が残存しています。(写真左下・右下) 天守台には三層の天守が構えられましたが、寛永3(1626)年
落雷により消失し、以後 再建されませんでした。 |
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