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黒川館は大小の丘陵が点在する黒川地区の南東側にあったとされる平城です。現在、館と思われる場所には「館の内」という地名が残っていますが、周囲は開墾、圃場整備により遺構は完全に消滅し規模・構造等は不明。なお「館の内」の西側に「クボ田」、北側に「ホリ田」と呼ばれる濠を想定される地名が残っているようです。
築城時期は不明。築城主体・城主は『金浦年代記』によると山根館主 仁賀保氏の被官 黒川氏と伝わります。『院内山根館絵図』には山根館の表御門前に「赤石殿」「黒川殿」と記された屋敷地があることから黒川氏は仁賀保氏の重臣だったと推測されます。黒川氏は慶長7(1602)年、仁賀保氏が常陸に転封時に同道せず、由利郡の領主となった最上氏に仕官したと伝えられます。 |
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「由利十二頭」 仁賀保氏の重臣 「黒川殿」の居館 |
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平城 |
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場所はコノヘンらしいです |
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路上駐車 |
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平成20(2008)年5月12日 |
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黒川館は黒川地区南東側の平野部に築かれた平城だったようですが、遺構自体は開墾等により消滅し、現在は城郭を想像させる地名が残るのみ。(写真左上) 黒川地区の北側に天松寺が見られますが、黒川地区自体が周囲の水田面より3−4mほど高く、黒川地区に黒川館が包括されていたような気も ・・・・・。(写真右上) |
三嶽山神社(写真左) 黒川地区西側の小丘陵に祀られている神社。創建は元和2(1616)年。 |
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