荒 川 館
秋田県鹿角郡小坂町荒川
立地・構造
 荒川館は鹿角盆地の北部、小坂川左岸の南方向に張り出した丘陵上(比高40m)に築かれた平山城です。規模は東西250m×南北280mほど、北側に続く稜線を堀で遮断して城を独立させています。城縄張りは東西堀で分断され、北から北郭・北西郭ー中郭ー南郭が連郭式に構築されています。規模は主郭に想定される北郭が東西100m×南北80m、中郭が東西200m×南北45−50m、南郭が東西120m×南北150mほど、各郭を分断した堀は幅10−20m×深さ2−3mほど。大手筋は南西麓からのルートが想定されます。同地の西麓に鹿角から津
軽に繋がる鹿角(津軽)街道が通っており、これを監視する機能を併せ持った在地領主の館城として取り立てられたものと思われます。

 築城時期は不明。『鹿角由来記』「一、荒川村、荒川備中領知 本名成田 館有」と記され、館主は鎌倉中頃、地頭職として鹿角に入部した「武蔵武士団 横山党」 成田氏の庶子家 荒川氏とされます。荒川氏の事績は不明。
歴史・沿革

荒川館 北郭北側の堀
メモ
「鹿角四頭」 成田氏の庶子家 荒川氏の館城 
形態
平山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀・土橋?
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年5月24日 平成29(2017)年5月14日
荒川館は小坂川の東岸、北から南方向に張り出した稜線突端に築かれた平山城です。(写真左上ー北西側からの近景 写真右上ー西側からの遠景) でっ、城へは北西麓の集合墓地脇に史跡標柱が建てられ、ここから舗装道路が設けられています。(写真左) 管理人はここからアプローチしました。舗装道路は農道として敷設されたもので北西側から切り込んだ沢に面して通っています。(写真左下) でっ、農道から北西郭の西側稜線を分断した堀が確認できます。(写真右下)
北西郭(写真左上) 北郭の西側に位置し規模は東西45m×南北80mほど。北郭間は幅10m×深さ3mの堀で分断されています。(写真右上) またこの郭の西側に小尾根が張り出していて段郭群で処理されているようです。
北郭(写真右) 規模は東西100m×南北80mほど、主郭に想定される平場です。でっ、北側稜線間は幅15m×深さ2mの堀で分断され(写真左下)、堀に土橋がかけられています。(写真右下ー土橋は後世の改変か?) 土橋が往時の遺構と想定すると、ここが荒川館「搦手」にあたるのでしょう。
(写真左上) 北郭・中館間の堀、規模は幅15m×深さ3mほど。
(写真右上) 中郭、規模は東西200m×南北45−50mほど、東西に細長い巨大な平場です。
(写真左) 中郭・南郭間の堀、規模は幅15m−20m×深さ3mほど。
(写真左下) 南郭、規模は東西120m×南北150mほど、この郭も巨大です。
(写真右下) 北西郭から中郭を望む
秋田の中世を歩く