御 土 居
京都府京都市
 「御土居」は戦国末期、豊臣秀吉により築かれたとされます。当時、「天下人」に駆け上った秀吉は長い戦乱で荒廃した京の整備に着手すると、洛中の安全を担保し、また鴨川の氾濫を治めるため洛中の周囲に「惣構」土塁(城塁)を築いたとされ、この際 築かれた土塁が「御土居」「京廻堤」「新堤」)と呼ばれています。土塁の規模は下幅15-20m、天幅3-5m×高さ5m前後、総延長は約22.5km。土塁の外側には幅10-15m×深さ3ー5m前後の濠が穿たれていました。(東側は鴨川を濠に代用) そして洛中と洛外の出入り虎口は十ヶ所 設けられいたようです。(鞍馬街道に繋がる「鞍馬口」、若狭鯖街道に繋がる「大原口」、山中越に繋がる「荒神口」、東海
現地説明板の図
道・中山道に繋がる「粟田口」、伏見街道に繋がる「伏見口」)、竹田街道に繋がる「竹田口」、鳥羽街道に繋がる「東寺口」、山陰道に繋がる「丹波口」、周山街道に繋がる「長坂口」) なおルイス・フロイスの『日本史』によると「御土居」には樹木(竹)が植えられていたことが記されています。しかし徳川幕府成立後、必要のなくなった「御土居」の一部は取り崩され寺社や公家に払い下げられ、明治以降 大部分の「御土居」は民間に払い下げられ、耕作地や宅地開発に転用され切り崩されました。昭和5(1930)年、残存していた8ヶ所の「御土居」が国の史跡に指定されました。
紫野御土居 
(場所はココです)
平野御土居 
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平野御土居 
平野御土居 
北野天満宮御土居 
(場所はココです)
鷹峯御土居 
(場所はココです)
鷹峯御土居 
大宮御土居 
(場所はココです)
大宮御土居 
寺町御土居 
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寺町御土居 
ー 動画 御土居を歩く ー