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荒川鉱山は秋田県の中央部、雄物川水系の荒川流域に存在した銅鉱山です。鉱山は元禄13(1700)年、川村庄右衛門によって発見され、元文3(1738)年からは久保田佐竹藩の直山として開発されました。明治維新後の明治9(1876)年、明治政府は鉱山の採掘権を盛岡の両替商 瀬川安五郎に払い下げ、さらに明治29( |

現地説明板の図 |
1896)年 鉱山の所有権は三菱合資会社に移されました。そしてこの頃から精錬所や中央選鉱所、発電所が建設され鉱山の近代化が図られました。また鉱山の近代化にともない鉱山町が形成され、荒川村役場や郵便局、駐在所、浴場、病院、劇場、大盛小学校など各種社会インフラが整備され、最盛期人口4000人の町に成長しました。しかし昭和10(1935)年、鉱山資源の枯渇により事業は縮小され、昭和15(1940)年に鉱山は閉山となりました。平成5(1993)年、旧協和町が坑道の一部を利用した「マインロード荒川」という観光施設をオープンしましたが、平成19(2007)年
坑道の崩落により営業を休止しています。(場所はココです) |
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荒川鉱山へは国道46号から協和カートランド・オートキャンプ場方向に進みます。(国道沿いに案内板あり) でっ、しばらく進むと「二号門鑑」と記された標柱が見えてきます。(写真左上) 門鑑は鉱山に出入りする人の要件や身元を確認する場所で、荒川を挟んで南北2ヶ所に設けられていたようです。ここからしばらく進むと教寿院祉と古い墓地があり(写真は撮ってません)、ここを過ぎると広い平場が広がっています。(写真右上)
ここに製錬所や各施設が建てられ、南側の丘陵は砂カス山と呼ばれ(写真左)、製錬事業に利用された煙突が残っています。(写真左下) でっ、製錬所に隣接して鉱山事務所が建てられていました。(写真右下) |
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中央選鉱場祉(写真左上・右上)
坑内から掘りだされた鉱石を鉱石と廃石に振り分ける場所、製錬所から荒川を挟んだ北側に位置します。明治40(1907)に初期工事がなされ、その後 大正11(1922)年に田崎組の手により大改修が行われ、大正13(1924)年4月に完成。 |
シックナー(写真右)
鉱山施設には必ずある貯水槽。採掘された鉱石と一緒に出てきた鉱水を貯水槽に溜め、有毒物質あるいは鉱資源を分離ろ過する装置です。 |
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