馬 場 館
秋田県大仙市(旧協和町)協和下淀川
立地・構造
 馬場館は淀川下流域の左岸、東から西方向に突き出した低丘陵先端(比高15−20m)に築かれた平山城で、丘陵基部を堀で分断して城域を独立させた単郭構造の城館です。規模は東西120m×南北30mほど、東縁に高さ1.5−2mの土塁を築き、北・南側に切り込んだ沢を自然の堀として縄張りに取り込み防御ラインとしています。基本的に在地勢力の平時の居館と推測されます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。『戸沢家譜』によると明応5(1496)年、角館城主 戸沢飛騨守秀盛は湊安東氏が仙北進出を窺ったため、弟の上総介忠盛を淀川城に移して安東氏に対する抑えとします。そしてこの頃、馬場館も戸沢氏の「境目の城」として取り立てられたものと推測されます。天文14(1545)年、忠盛が淀川城で死去すると湊安東氏は淀川流域に侵攻して淀川城を奪取しており、この際 馬場館は湊安東氏の属城になったものと思われます。さらに天正15(1587)年、仙北制圧を目指す安東愛季は戸沢領に侵入して淀川城を攻略、さらに唐松野に進出して唐松城で戸沢治部大輔盛安と対峙していますが(「唐松野の戦」)、この時も馬場館は安東氏の勢力下に置かれたものと思われます。
歴史・沿革
馬場館 西側からの近景
メモ
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形態
平山城
別名
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遺構
郭(平場)・土塁・堀
場所
場所はココです
駐車場
馬場地区集会所の駐車場借用
訪城日
平成20(2008)年6月4日
馬場館は下淀川馬場地区東方の丘陵上に築かれた平山城です。(写真左上) 同所には同じように西側に張り出した丘陵が多いのですが、先端に熊野神社鳥居のある稜線がそれで、鳥居が登り口になります。(写真右上) でっ、参道を道なりに進むと熊野神社に辿り着きます。(写真左) 熊野神社は本郭の中央部に位置し、本郭の規模は東西120m×南北30mほど。(写真左下ー藪々ですが・・・・・) 東縁に高さ1.5−2mの土塁が築かれ、外側(東側)は幅5−6m×深さ4−5mの堀で丘陵基部と分断されています。(写真右下)
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