唐 松 城
秋田県大仙市(旧協和町)協和境
立地・構造
 唐松城は雄物川の支流 淀川の中流域、右岸の南方向に張り出した丘陵突端(比高60m)に築かれた山城です。城の規模は100m四方ほど、背後(北側)の稜線を堀で断ち切って城域を独立させた小規模な城砦です。城縄張りは山頂部を加工した主郭を中心に南東方向に段郭群を敷設したシンプルな構造になっ
唐松城 概念図
ています。主郭の規模は東西8−12m×南北25mほど、南側に小郭群を設け、南東側斜面は高さ1.5−2mの段で段郭群に加工されています。また西側斜面は腰郭に加工され、さらに連続畝堀で潰されています。大手筋は東麓からのルートが想定されます。同地は淀川と荒川が合流する平野部に位置し、水陸交通を物見・監視する城砦として機能したものと思われます。

 築城時期・築城主体・城主ともに不明。もともと戸沢氏の支配下にあった属城と思われます。天正15(1587)年、湊城主 安東愛季は仙北制圧を目論み戸沢領に進出します。このため角館城主 戸沢治部大輔盛安は唐松野に出陣して安東勢と対峙しました。(「唐松野の戦」) そしてこの際、唐松城には安東勢の本陣に置かれたとされます。
歴史・沿革
唐松城 主郭西側の畝状竪堀群
メモ
「唐松野の戦」時の檜山安東氏の本陣
形態
山城
別名
・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・土塁・虎口・堀・連続畝堀
場所
場所はココです
駐車場
「まほろば唐松 中世の館」駐車場
訪城日
平成19(2007)年4月18日 平成19(2014)年5月6日
唐松城は協和境地区の南西部、通称 唐松山と呼ばれる丘陵上に築かれた山城です。(写真左上ー東側からの遠景) でっ、東麓に「まほろば唐松 中世の館」があって、この脇から登山道が設けられています。(写真右上ー「まほろば唐松 中世の館」 写真左ー登り口・唐松神社元宮の鳥居) 登山道は東側斜面をジグザグに登り(写真左下)、麓から6−7分ほどで模擬冠木門に辿り着きます。(写真右下) たぶんこのルートが大手筋だったのでしょう。
冠木門のある部分は東側斜面を加工した段郭群の最下段に位置し、往時 ここに虎口が構えられていたのでしょう。(写真左上) でっ、段郭群は高さ1.5−2mの段で区画された5−6段の ごくごく小規模な郭群。幅は最大7−8mほど。(写真右上ー段郭群の上段 写真右ー段郭群の下段方向) でっ、段郭群最上段の郭は東西10m×南北30mほど、主郭の南側下に位置し、石碑が建てられています。(写真左下) でっ、主郭間の稜線は小郭群に加工され(写真右下)、南側稜線は幅6−7m×深さ4−5mの堀で処理されています。
(写真左上) 主郭への導線、小郭群の側面を通しています。
(写真右上) 南側の堀切
主郭(写真左) 規模は東西8−12m×南北25mほど、内部に唐松神社の「元宮」が祀られています。規模は小さく、物見砦だったのでしょう。でっ、主郭の西側は5−6m切り落として幅7−8mの腰郭に加工され(写真左下)、郭はさらに10条の連続畝堀で切り刻まれています。(写真右下)
(写真左上) 連続畝堀
主郭の北側稜線は幅6−7m×深さ4−5mの堀で断ち切られ唐松城を独立させています。(写真右上) でっ、堀底は最北端の連続竪堀に繋がっています。
主郭からは天正15(1587)年、安東勢と戸沢勢が対峙した唐松野方向が一望にできます。(写真右) とはいっても具体的な戦闘地もわかっていないようで ・・・・・、ま 〜〜〜 淀川をはさんで対峙していたのでしょう。
ー まほろば唐松 「中世の館」 ー
「まほろば唐松 中世の館」
唐松城の東麓に造られた観光スポットです。一応、丘陵先端に位置する中世城館をイメージしているようですが ・・・・・、能楽堂があるなどあくまで観光スポットです。ま 〜〜〜〜 人によって賛否両論があると思いますので、管理人は存在の是非は問いません。
ー 唐 松 神 社 ー
唐松神社は蘇我氏との抗争に敗れて この地に逃れてきた物部氏により創建されたと伝えられ、『東日流外三郡史』とともに奇書とされる『物部文書』が伝わっています。写真は「唐松山天日宮」で、池の中に2段に墳丘状に築かれた玉石の上に祀られています。かなり珍しい建築様式で管理人も初めて見ました。
秋田の中世を歩く