佐渡国国分寺は天平13(741)年、聖武天皇が国家安寧・鎮護のため、当時の日本各国に建立を命じた寺院施設で、正式名称は「佐渡国 金光明四天王護国之寺」。佐渡国国分寺は国仲平野の南西部、国仲平野を見下ろす低丘陵上に構築され、天平宝字8(764)年 佐渡国国分寺に勝王経・法華経各一部が国から施納された記録が残っており、佐渡国国分寺の創建はこの頃と推測されます。伽藍配置は「一塔一金堂形式」の国分寺の基本的な伽藍配置(「東大寺形式」)、現在は金堂、廻廊、中門、南 |

推定伽藍配置図 |
大門、塔、新堂の礎石が残っています。正安3(1301)年、落雷により七重の塔が焼失、享禄2(1529)年 火災により堂塔伽藍が焼失し、現在の国分寺は旧佐渡国分寺祉の東隣に延宝7(1674)年、賢教上人により再興されたもの。現在の国分寺の正式名称は「医王山 国分寺」、宗派は真言宗醍醐派。旧国分寺祉は昭和4(1929)年、国の史跡に指定され、現在は史跡公園に整備されています。(場所はココです) |