飯 館
秋田県横手市(旧増田町)増田町熊渕字飯館
立地・構造
 飯館は横手盆地の南東部、成瀬川左岸の河岸段丘先端(比高10−15m)に築かれた崖縁城で単郭構造の方形館と想定されます。館は北ー西側を成瀬川の段丘崖で、東ー南側は堀で城域を区画していたと推測され、規模は推定 60−70m四方ほど。遺構としては北東側に堀の痕跡(幅4−5m)が成瀬川橋沿いに若干 残るほか、館敷地が周囲より0.5mほど高くなっています。基本的に在地領主の日常居館と思われますが、増田方向を眺望できるとともに、皆
瀬川舟運を掌握する性格もあったものと思われます。

 築城時期・築城主体・館主ともに不明。飯館が史料に見えるものとして『奥羽永慶軍記』(客観的史料でないため あまり使用したくないのですが ・・・・・)に慶長五(1600)年十月、最上義光の被官 丹与惣左衛門(金山城主)が成瀬川上流の田子内城を攻撃した際、稲庭三梨飯楯三股を道案内者にしたと記されており、館主は三梨小野寺氏の一族あるいは被官と推測されます。同年、「関ヶ原」は東軍の勝利で終結し、この報は10月に入って出羽長谷堂城で対峙していた最上・上杉両氏にもたらされ、西軍に与した上杉勢は最上領からの退却を開始しました。そして最上義光は退却する上杉軍を追撃するとともに、小野寺領への侵攻を開始しました。前述の田子内城への攻撃は小野寺攻略の一環として行われた軍事行動のひとつだったと思われます。
歴史・沿革
飯館 城址標柱
メモ
・・・・・・・・
形態
崖縁城(単郭の方形館か?)
別名
 ・・・・・・・・・
遺構
郭(平場)・堀祉
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成20(2008)年5月16日 令和3(2021)年5月12日
飯館は成瀬大橋沿いの成瀬川段丘崖に築かれた崖縁城で、道路脇に城址標柱が建っています。(写真左上ー北側からの近景) 内部は私有地になっているため立ち入りませんでしたが、成瀬大橋沿いに堀の痕跡がかすかに確認でき(写真右上)、また東ー南側の車道も堀祉だったと思われます。(写真右ー東側 写真右下ー南側 写真右下ー西側縁部) 館からは成瀬川越しに増田方向が眺望できることから、稲庭城を拠点としていた頃(鎌倉末ー南北朝期)の小野寺氏が物見として利用したとも推測されます
(写真左) 内部
 
秋田の中世を歩く