新 城 山 館
秋田県横手市(旧増田町)増田町荻袋
立地・構造
 新城山館は横手平野の南東隅、成瀬川左岸の丘陵先端のピーク(標高320m 比高190m)に築かれた山城で、北西方向に延びた稜線尾根を城域とした大規模な城郭です。規模は東西450m×南北300mほど、城縄張りはピークに構築された主郭から北西方向に延びた稜線を階郭構造に加工し、途中の尾根筋は堀切、二重堀で遮断されています。城中枢はピークに構築された主郭・二の郭からなり、北側稜線は段郭群に加工されています。主郭の規模は東西30m×南北60mほど、主郭の南側は二重堀、堀切で遮断されています。同地は横手盆地の南東隅に位置し、横手盆地南部を眺望できる高所に位置します。なお現在、林道建設で消滅していますが、主郭ー二の郭ー段郭群の西側斜面にから畝状竪堀群が確認されており、新城山館は戦国末期まで使用されたものと推測されます。

 築城時期・築城主体・城主ともに不明。城の規模から在地領主の城館とは思われず、横手城主 小野寺氏が関与した城館と思われます。
歴史・沿革
新城山館 遠景
メモ
小野寺氏の支城 か?
形態
山城
別名
・・・・・・ 
遺構
郭(平場)・虎口・堀・畝状竪堀(未確認)
場所
場所はココです
駐車場
路上駐車
訪城日
平成19(2007)年4月19日
新城山館は横手盆地の南東部、成瀬川南岸の丘陵ピークに築かれた山城です。(写真左上ー北側からの遠景 写真右上ー北西側からの遠景) でっ、館へは安養寺集落のはずれから、神子の沢と呼ばれる沢沿いに林道があり(写真左)、しばらく進むと道は二俣に分かれ、管理人はここから左方向に入り、つずらおれに斜面を登りました。でっ、辿り着くのが稜線突端の平場になります。(写真左下) でっ、管理人はここから尾根ずたいに主郭を目指し、しばらく進むと堀切が現れます。(写真右下) 規模は幅4−5m×深さ2−3mほど。
 
さらに尾根筋は二重堀で切られ(写真左上)、ここから小規模な郭が3−4段ほど敷設されています。(写真右上) どの郭も削平は甘く自然地形に若干 手を加えたもの。でっ、段郭群が終わり斜面が急傾斜になる直前は浅い堀で切られています。(写真右) ここからが本格的な城域となり、急斜面は高さ3−4m(最大7−8m)の切岸で、7−8段の段郭群に加工されています。(写真左下・右下) でっ、郭群の中には30−40mほどの郭も見られます。
 
(写真左上・右上) 段郭群
二の郭(写真右上) 段郭群の最上段の郭で、主郭との段差は2−3mほど、土橋状の坂虎口で繋がっています。
主郭(写真左下) 規模は東西30m×南北60mほど。
主郭の背後(南側)は二重堀で分断されています。(写真右下) 規模は幅5−6m×深さ4−5mほど、中畝は高さ3mほど。長大な竪堀をともなっています。
 
(写真左上) 竪堀
主郭から二重堀を挟んだ南側に小郭が敷設され(写真右上)、背後(南側)は堀で切られています。(写真左) 規模は幅6−7m×深さ4−5mほど、現在 林道が敷設され改変されています。でっ、ここで新城山館は完結します。
新城山館からは横手盆地南東部が眺望でき、小野寺氏系の平城がいくつか確認できる高所に位置します。
 
秋田の中世を歩く