戸 波 城
秋田県横手市(旧増田町)増田町戸波
立地・構造
 戸波城は横手平野の南東部、皆瀬川左岸の河岸段丘上(比高10−15m)に築かれた丘城で、東側を段丘崖で区画し城域を仕切っていたと推測されます。(北ー西ー南側の城域は不明瞭のため規模・構造等は不明) 現在、城址は戸波地区の宅地化で消滅していますが、郭の一部が小公園として残り、東縁に土塁?らしきものも確認できます。基本的に日常居館として築かれたと推測され、東方に皆瀬川、成瀬川、さらに増田街道を眺望できる高所に位置しており、海陸交通を扼す
る性格があったものと思われます。

 築城時期・築城主体ともに不明。城主は『語伝仙北小野寺之次第』『奥羽永慶軍記』)によると仙北小野寺氏の次弟(誰の次弟かは不明?) 戸波宗右衛門とされ、また『増田満福寺文書』では戸波平八郎時平とされ、戸波を称した在地領主が居住したものと推測されます。室町末ー戦国期、戸波氏は小野寺氏に与して各地に出陣し、『奥羽永慶軍記』によると天正14(1586)年の「有屋峠の戦」、慶長5(1600)年の最上軍による吉田城攻め」に戸波平右衛門の名が見え、また佐竹氏入封後の同8(1603)年 小野寺残党による六郷城攻め」に戸波惣右衛門の名が見られます。
歴史・沿革
戸波城 東側からの近景
メモ
小野寺氏の被官 戸波氏の居館
形態
丘城
別名
・・・・・・・・・ 
遺構
郭(平場)・土塁?
場所
場所はココです
駐車場
戸波会館の駐車場借用
訪城日
平成20(2008)年5月16日
戸波城は増田市街地を望む比高10−15mの断崖上に築かれた丘城で、現在は戸波地区に包括されています。(写真左) でっ、東側から戸波地区にアプローチすると戸波城址の北側を通りますが、もしかしたら車道が堀だったのかも。(写真左下) 城址の一部は公園になっていて、東縁に土塁?と思われる高みも見られますが、ハッキリしません。(写真右下) なお城址からは皆瀬川、成瀬川、さらに稲庭、川連から増田に繋がる増田街道を眺望できます。(実際は雑木で遮られ見えませんが ・・・・・)
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