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松阪城は松阪市市街地の中央部、四五百森と呼ばれる独立丘陵に築かれた丘城です。でっ、丘陵の東麓が三の丸とされ ここに大手が設けられていたのでしょう。(写真左上) 表門は高石垣で区画された桝形で構築され、ここで左折すると二の丸へ、右折すると助左衛門御門に繋がっています。(写真右上) ちなみに石垣は高さ6−7mほど、野面積と切り込みハギが混在し、隅部は算木積で積まれています。(写真左ー東石垣 写真左下ー南石垣) また外部に繋がる虎口は表門のほか、中央南側に裏門が設けられていました。(写真右下) |
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二の丸(写真左上) 規模は東西90m×70mほど。南西隅に櫓が構えられていたようです。(写真右上ー櫓名は不明) 寛政6(1794)年、紀州徳川藩はここに陣屋(二の丸御殿)を構えましたが、明治10(1877)年
御殿は失火により焼失。 |
隠居丸(写真右) 規模は60m四方ほど。内部に米蔵、宝蔵、道具蔵が置かれていたようです。現在、ここには本居宣長の旧宅 「鈴屋」が移築されています。(写真左下)
なお米蔵は南西隅に設けられていたようです。(写真右下) |
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中御門(写真左上) 二の丸から本丸下段に繋がる虎口で、スロープ状の桝形構造で構築されています。 |
本丸下段(写真左)規模は東西80m×南北50mほど、周囲は石積の土塁で構築され、南東隅に月見櫓が、南西隅に太鼓櫓が構えられていました。(写真左下ー月見櫓
写真右下ー太鼓櫓) なお北側には表門に繋がる助左衛門御門が設けられ二の丸を経ずに外部に繋がっています。 |
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本丸下段から上段へは桝形構造の導線で繋がっています。(写真左上・右上) |
本丸上段(写真右) 規模は80−90m四方ほど、周囲は石積の土塁で囲まれ、北西隅に天守と敵見櫓が、南東隅に金の間櫓が構えられていました。(写真左下ー北土塁
写真右下ー東土塁) なお北土塁は幅広に構築されており多聞櫓が構えられていたのでしょう。 |
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天守台(写真左上) 本丸上段の北西隅に設けられ、規模は東西16m×21mほど。往時、ここには三層五階の天守が構えられ、また天守に連結して二層の敵見櫓が構えられていたようです。(写真右上) なお天守は正保元(1644)年、台風により倒壊し再建されることはありませんでした |
金の間櫓(写真左) 本丸上段の南東隅に設けられた二層の櫓跡。往時、櫓には金箔を貼った黄金の間があったと伝えられます。 |
きたい丸(写真左下) 規模は東西100m×南北80mほど、西ー北縁は石積の土塁で囲まれています。(写真右下ー北土塁) なお郭名は古田重勝の三子 稀代丸に由来するそうです。 |
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(写真左上) きたい丸の西土塁 |
きたい丸の北西端には角櫓が(写真右上)、北東隅に藤見櫓が構えられていました。(写真右) |
助左衛門御門(写真左下) 表門から二の丸、きたい丸に繋がる虎口。遠見櫓と鐘の櫓で区画された桝形構造になっています。 |
井戸(写真右下) 表門に隣接し、築城時から水をたたえている松阪城の水の手。 |
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