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北 条 新 三 郎 の 墓 所 |
静岡県三島市大社町 |
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北条新三郎氏信(綱重)は北条早雲庵宗瑞の四子 幻庵長綱の次子で、永禄3(1560)年 長兄の三郎時長が夭折したため家督を継承し、同6(1563)年には武蔵国 小机城主に据えられました。そして同11(1568)年、武田信玄が「甲駿相三国同盟」を破棄して「駿河侵攻」を開始すると小田原の北条氏康は今川支援のため駿河に派兵し、この際 氏信は蒲原城に据えられ武田勢と対峙します。そして翌12(1569)年、武田勢は小田原城を攻撃し、さらに蒲原城を攻略してこの戦で氏信、長順兄弟は討死にしたと伝えられます。なお新三郎の墓碑のある祐泉寺は正式名称 「松井山 祐泉寺」。宗派は臨済宗大徳寺派、御本尊は聖観世音菩薩。創建は白鳳年間(650-654年)頃、この地の豪族の氏寺として開山され、元慶9(885)年 伊豆国分尼寺に昇格しました。しかしその後、伽藍は荒廃し
永禄10(1567)年、新三郎が箱根湯本早雲寺の八世 梅隠宗香禅師を招いて廃寺祉に祐泉寺を創建したとされます。(場所はココです)
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北条新三郎の
宝篋印塔
右が新三郎氏信の宝篋印塔、左が新三郎の弟 箱根少将長順(覚胤)の宝篋印塔。長順の戒名は「妙覚院融深殿」。 |
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